私たちには自由がある。だが、私たちは知らずにその自由を制限している。
自由というのは、人生を謳歌するためにあると思われている。その自由を人生に持ちだして生きるのは楽しいことだが、それには何かしらの犠牲が伴う。
自由は私たちの意識の中にもある。私たちの心は自由だ。自由に物事を考えることができる。だが、考えの自由は、時に何かしらの精神的苦痛を伴う。
制限のない自由はどこにあるのだろうか。本当の自由は生き方でも考えでもないところに存在している。いつも私たちが無視し、排除していると
ころにこの自由はある。
この自由は、何の制限もなく、犠牲も苦痛も存在することができない。それは純粋に存在の自由と言えるものだ。
私たちの存在の中心はここにある。私
たちがこの自由を見つけて、自分自身の存在の中心に置くとき、私たちはほんとうに自由になれる。
自由であることを知るという方が正しい表現かもしれない。
この自由がリアリティだ。そこでは、私たちは自由である振りをする必要もなく、自由を求めることも必要ない。
制限するものはなく、果てしない
自由だけが存在している。
なぜ、私たちはこの自由を知らないのだろうか。それは身体やマインドの自由を求めるからだ。それは間違ってはいないが、それでは
世界の制限から逃れることはできない。
そこに自由を求めるから、私たちは自由を求めて苦悩するのだ。
ほんとうの自由は世界の向こう側にある。それはあまり
にもリアルに存在している。この自由を知らずに、身体やマインドの自由はありえない。
この自由を知れば、身体もマインドも自由の中に解放される。