2016年5月11日水曜日

宿泊瞑想会のご案内

滝行&瞑想会も5シーズン目を迎えました。
恒例の宿泊瞑想会を下記の通り開催いたします。

日 時:平成28年5月21日(土)・22日(日)
    21日14時に現地集合 22日12時に現地解散

場 所:御岳山 静山荘
    東京都青梅市御岳山43 TEL 0428-78-8445

参加費:20,000円(宿泊費・夕朝食・滝行指導料・瞑想会費含む)
※現地までの交通費等は含まれていません。

参加要件:空風で瞑想の伝授を受けた方。
※瞑想未経験の方は宿泊瞑想会前に瞑想伝授を受けてください。

・滝行は夕方と早朝の2回です。
・夜から朝まで瞑想をしていきます(就寝しても構いません)。
・滝行の参加は任意になります。
・スケジュールの詳細は参加申込み後にお知らせいたします。

人数に限りがあるので、定員に達しましたら申し込みを終了いたします。
予告なく申し込みを終了する場合があります。

よろしくお願いします。

2016年4月18日月曜日

34.生まれてから死ぬまで:瞑想哲学


私たちはこの世界に生まれてきた。そして確実に死んでいく。私たちはこの短い生の中で何のために生まれてきたのかを知ろうとするが、その答えを得ることは難しい。だが、誰が生きているのかを知ることはできる。生きている自分とは誰なのか、それを知ることが生まれてきた理由だ。

私たちはこの世界に生まれてきました。でも、なぜ生まれたきたか分かりません。気がついたら、この世界で生きていました。そして、この世界のルールを学び、そのルールに従って、ひとりの人間として生きようとしています。

私たちはいつか死にます。これは間違いのないことです。生まれたからには必ず死ぬのです。分かっていることではありますが、私たちはあまり死に現実感がありません。それは死んだことがないからです。何度か死んだことがあるのなら、死とはこういうものという感覚が分かるでしょうが、臨死体験でもしないかぎり、誰でも死ぬことは一回きりです。そのため、死ぬことはその時にならなければ分かりません。

私たちは生まれてきて、そして死んでいきます。長く行きたとしても、たかだか100年程度の僅かな時間しかこの世界にとどまることができません。その僅かな時間をひとりの人間としてどのように過ごせばいいでしょうか。


2016年4月9日土曜日

33.運命を変えることはできるのか:瞑想哲学



私たちの運命は決まっていて、誰もそれをコントロールすることはできない。 
もし私たちが「自分自身を知る」ことを選択したなら、その運命から離れることができる。 
それが神が用意した運命から自由になる唯一の道だ。 

私たちに起こることは必然なのでしょうか。
もし必然なら、人生に起こることのすべては決まっているということになります。

つまり、私たちには運命というものがあり、それに抗うことができないということです。

次の瞬間に予期しない何かが起こります。
それはすでに決められたことかもしれませんが、私たちはそれを知ることができません。

それを知ることができないために、私たちは人生の出来事に翻弄されています。

それはいいこともあるでしょうし悪いこともあります。
変わりない毎日の繰り返しかもしれません。

私たちが何かを選択しようとするとき、それは突然、心の中にひらめきます。


2016年4月1日金曜日

32.思考は現実化するのか:瞑想哲学


思考は現実化するかもしれないが、それで願望が終わるわけではない。
次から次へと思考は起こり、そして願望の現実化と非現実化をそこに見る。
最終的に思考は何を望むのだろうか。
それは絶対的な自分自身の現実化だ。

思考は現実化すると言われています。
自分の望むことを思い続ければ、それは現実化するというのです。

思考とは何でしょうか?
それは何かについて考えるということです。

それはどこからやってくるのでしょうか。
それは自分の心の奥から自然に湧き上がってきます。

私たちはこの思考をコントロールすることができません。

つまり私たちが考えることは、
自分の意志とはまったく違うところで働いているということです。

自分の望む思いさえ、
それは自分の望むことなのかどうかわかりません。


2016年3月25日金曜日

31.心を磨くことの本当の意味



心を磨くことはマインドの動きを正すことではない。
マインドは動くため、マインドを最良の状態にとどめておくことはできない。
心を磨くとは動くことのない自分の心の中心部まで遡ることだ。
そこまで遡ることで、変わることのない本来の自分になることができる。

自分の心を磨くにはどうしたらいいのでしょうか。

そのために私たちは静かに瞑想をする時間を持ち、
自分自身と向かい合います。

自分の弱さや苦悩を認めて、それと対峙します。
逃げてきた問題に取り組むことを始めます。

いつでも感謝をする気持ちを忘れないようにし、
心穏やかでいることを心がけます。

私たちはそうして自分の心の在り方を変えることで、
きっと心は磨かれていくものだと思っています。

それらはとても良いことですが、どこかに限界点があります。


2016年3月14日月曜日

30.瞑想に効果はあるのか:瞑想哲学



瞑想には効果があると言われている。
だが、それは必ず失われる限定的なものばかりだ。
瞑想は本当の自分自身を知るために機能する。
本当の自分自身は決して失われることがない。

瞑想には何かしらの効果があると言われています。
私たちはその効果を求めて瞑想をします。

もし、何の効果もなければ、瞑想をやめてしまうでしょう。
まるで役に立たないサプリをやめるようにです。

瞑想は研究や経験によって、様々な効果があると謳われています。

ストレスに強くなるとか、洞察力が高くなるとか、
運が向上するとか、幸福度が上がるとかです。
実際に脳細胞の増加が見られたという研究報告もあります。

その効果を期待して瞑想を始めることは悪いことではありません。
そしてその効果は少なからず感じることができます。


2016年3月7日月曜日

29.人生は楽しいのだろうか:瞑想哲学



人生はもともと楽しいものだ。
それを楽しいと思えないのは、自分を見失って楽しむ気持ちが麻痺しているからだ。
もし本当の自分自身を知ったなら、人生は楽しいものだと知るだろう。
無邪気に物事を興味深く見る目を持つ子供のように人生を生きるだろう。

私たちは人生を楽しみたいと思っています。

でも、人生を楽しむためには条件が必要だと思っています。
その条件を満たすことができてこそ、私たちは人生を楽しむ資格があると感じています。

その条件とは何でしょうか。
それはお金があること、健康なこと、仕事があること、家族に問題がないこと、
知識が有ること、地位があることなどです。

私たちには探せば何かしらの問題があります。
その問題が人生を楽しむための重石となっています

お金がなく、病気で仕事もなく、家族に問題を抱え、知識もなく、地位もなかったなら、
私たちは人生を楽しんでいいのか悩みます。

人生を楽しむ前に、まずその問題を解決しなければと考えます。

人生を楽しむとはどういうことでしょうか。
それは起こることを受け入れて、無邪気に面白いと感じることです。


2016年2月19日金曜日

28.自分の祈りが届くために:瞑想哲学



私たちは祈りを捧げる。
人間を超えた存在に祈る。
だがその祈りが聞き届けられることはない。
ただひとつの祈りだけが人間を超えた存在に受け入れられる。

私たちはこれまでたくさんの祈りを捧げてきました。
自分の望むことが叶うように祈ってきました。

いったい誰に祈っていたのでしょうか。

私たちの祈りを聞いてくれたのは誰なのでしょうか。
それは神様でしょうか。

私たちは神様がいるかどうかは別にしても、
心の何処かで人間を超えた存在を信じています。

私たちは運命というものを感じていて、
それは人間がどうこうできるものではないと知っています。

私たちは自分の人生を望む運命にするため、
その人智を超えた存在に祈りを捧げます。


2016年2月13日土曜日

27.すべてが運命的な出会い:瞑想哲学



私たちには毎瞬出会いが起こっている。
それは人かもしれないし、その時の呼吸の中にあるかもしれない。
絶え間なく次の瞬間が起こり、私たちは否応なく新しい出会いへ放り込まれる。
私たちはそんな運命的な出会いの中を生きている。

私たちは絶えず運命的な出会いをしています。
それはあまり意識されないかもしれません。

突然、降って湧いたような衝撃的な出会いがあると、
私たちはその時だけに特別な瞬間が起こったように感じます。

でも、私たちが取り合わないだけで、
どの瞬間にも運命的な出会いは起こっています。

私たちはいったい何と出会っているのでしょうか。
出会う人や物事は数限りなくあります。

すべての出会いを感じたり記憶したりすることはできません。
出会いのほとんどは私たちの感覚をただ通り過ぎていきます。

私たちが街に出かければたくさんの人とすれ違います。
殆どが知らない人ばかりで、気にかけることもありません。


2016年2月8日月曜日

26.本当に信じられること:瞑想哲学



成功した人を信じることは簡単だ。
失敗し続けている人を信じることは難しい。
だが、成功も失敗も変わっていくものだ。
私たちは何を信じたらいいのだろうか。

私たちは何かを信じています。
それは信じられる人だったり、信じられる話だったりします。

私たちは何を基準にそれを決めているのでしょうか。
私たちが何かを信じるのは、何か決め手があるはずです。

それは信じられる人が話したからかもしれません。
それが信じられるかどうか、直接自分で確かめたからかもしれません。

もし何かを信じるかどうか考えているとき、
私たちはそれが自分の期待に応えられるかどうかを基準にします。

自分の期待に応えられないものは信じることができません。
つまり信じるということは、自分の期待が基準になります。

何かしらの期待があって、
私たちがそれにどれだけ共感できるかを信じる決め手にします。

でも、私たちの期待することはいつも同じではありません。
それはその時によって変わっていきます。