2013年1月9日水曜日

智慧というリアリティは知識を超える

私たちには智慧がある。智慧は知識ではない。知識は世界のことを知っていることだ。それはたくさんの世界の何かをどれだけ知っているかということだ。

知識は 世界を豊かにする。言葉は世界と人をつないでいく。だが、その言葉はいつか消え去る。言葉は知識を示すことはできるが、真実を示すことはできない。

言葉は多様で、たくさんの解釈があり、それはまるで変化していく生き物のようだ。そんなたくさんの言葉にはそれぞれに解釈が生まれ、その解釈によって論争が起こる。

何が正義で何が愚かしいことなのか、その狭間で私たちは揺れ動いている。私たちは知識の底なし沼にはまって、ついには身動きが取れなくなる。

智慧は自分自身のことを知ることだ。智慧は言葉ではない。智慧はリアリティだ。智慧はたったひとつ自分自身を知っているということだ。

自分自身について、それ以上 の何も知る必要はない。智慧は私自身を豊かにする。それはマインドと意識をつなげるリアリティそのものだ。

このつながりが豊かさだ。このリアリティは決して消え去ることがない。たとえ、私たちがこの身体を失ったとしても、それは消え去ることがない。

智慧は何にも依存していない。智慧は真実を示すことだけができる。智慧にはたったひとつの存在があるだけだ。

誰もがこの智慧に根差して生きている。智慧そのものには何の解釈も必要ない。誰にとってもこのリアリ ティは同じだ。そこに何の争いも起こらない。私たちは静かにそれに同化する。

智慧は完全な統合だ。知識は分離だ。私たちが言葉という知識に強くつながっている限り、この智慧を見失い続ける。

智慧とひとつになったとき、そのときだけ世界の知識は知識として完全なものとなる。