もし、このミッションを達成できずに人生が終われば、私たちはまた何かしらの生命として生まれることになる。このことはミッションを達成できるまで繰り返される。
生まれ変わることを喜ぶ人もいるかもしれない。だが、喜ぶのは最初の数回だろう。このことは何千回でも何万回でも繰り返されるのだ。
これは役所で書類に不備があってやり直しを命ぜられているようなものだ。しかも、どこが不備なのかを誰も教えてはくれない。それはイライラの種であっても、喜びであるはずがない。
自分が誰なのかを知ることはそれほど難しいミッションではない。難しいのは、自分が誰なのかを知るというミッションに気がつくことだ。
自分が誰なのかという答えは隠されているわけではない。隠されているどころか、いつでも目の前に答えは差し出されている。
私たちはそのミッションに気が付かないため、答えが目の前にあっても、それが大事な答えだと気が付かないで素通りしてしまう。
私たちはこの答えを面白くもおかしくもない価値の無いものとして無視し、世界の中での体験に埋没している。そして私たちの魂は何度も地上に突っ返されるのだ。
自分が誰なのかを知るというミッションに気がついた時、私たちは程なくそのミッションを達成する。そこに自分自身のリアリティをはっきりと感じている。
そのリアリティを感じた時、それは自分の中だけでなく、世界中に満ち溢れていたことに気がつく。
私たちは世界の中に体験を求めていたが、そこにもリアリティという形で答えが示されていたのだ。
世界は自分自身と変わらないリアリティで輝き、いきいきとしている。自分自身のリアリティを知っていれば、世界のあらゆるところが輝きに満ちている。
だが、自分自身のリアリティを知らなければ、この世界の輝きに気がつくことはない。私たちは世界の輝きを探そうとするかもしれないが、リアリティという目を持っていなければ、決してそれは見つからない。
世界中がこのリアリティで埋め尽くされていると知った時、私たちはもう生まれ変わる必要がなくなる。
私たちは自分自身を完全に知り、そして世界を完全に知ったのだ。もう地上に戻る必要も、何かに生まれる必要もない。
私たちは存在そのものであり、世界そのものであり、人間そのものだ。それははじまりも終わりもない。そこにリアリティとして存在し続ける。