瞑想をするために目を閉じて静かに座るまで他にやることを探している。
何もすることがなく瞑想するしかないと心に決めるまで、
瞑想することを何となく避けている。
さて、瞑想をしようかと座る。
そして静かに目を閉じて瞑想に入っていく。
そうすると、何かをすることへの関心は薄れ、
心の深いところに触れて、焦点がそこへと移っていく。
そこには、自分の生活環境をすべて置き去りにして、
自分自身ひとりだけになれる空間と時間がある。
なぜ私たちはこの世界を避けようとするのだろうか。
そこは身体やマインドが触れている世界と反対側の世界だ。
そこは瞑想するまで知らなかった世界。
心は浮かび上がってくる言葉でできているわけではない。
心の世界では言葉など取るに足らないものだ。
そこは想像以上に空間がある。果てしない空間だ。
自分の中にそんなところがあることに驚く。
これをどう理解したらいいのだろうか。
瞑想をするとこの世界に直面する。
身体やマインドは地球上の世界がリアルな世界だと思いたい。
だが、ここにも世界と呼べるリアルな空間がある。
私はどちらの住人なんだろうか。
瞑想中はこの果てしない意識の住人でいる。
目が覚めているときはまた地球上の住人に戻る。
どちらが本当なのだろうか。
地球上の住人でいるほうがシンプルでいい。
それだけでいるほうが分かりやすい。
たとえそれが、苦悩や恐れに襲われる世界だとしても、
幸せや満たされた気持ちが少ししか続かないとしてもだ。
だが、この意識の世界も無視することはできない。
私たちはその世界から無縁ではいられない。
ほんとうの自分は地球上の世界にいるわけではない。
ほんとうの自分は心の中にいる。
瞑想はそれをはっきりとさせる。
マインドはそれを無視したい衝動にいつもかられる。
この自分自身の真実を知ってしまうことに戸惑う。
そこを知らずに地球という世界の住人でいたいと思う。
瞑想というものに触れたいが、触れたくないという感覚は、
きっとマインドのそんな気持ちの現れだ。
だが、心の中の自分自身の真実を知っても地球で暮らしていける。
どちらがリアルなのかというような戸惑いは現実にはならない。
なぜなら、すべては意識でできていて、
この地球もマインドも身体もすべてを包み込み、
その内側さえも満たしている。
その真実を無視することは無理があることであり、
それを知ることこそ自然なことだ。
どんなに心が曇っていても、真実を知ることに抵抗があっても、
いつかその自然さを感じる日が来る。
真実はいつでも心の中で太陽のように輝いている。
いつまでもそれを知らないと言い通せるはずがない。
今日も静かに目を閉じて瞑想をする。