2013年12月17日火曜日

20. 瞑想で知る無だけが自分自身の唯一の拠り所になれる

無というのは何もない事だ。
私たちのマインドはこの無を認識することができる。

何気ない生活の時間の中で、
ふと自分は何も考えていないと分かる瞬間がある。

それが無の認識だ。
瞑想では自分からこの認識を起こしていく。

瞑想で起こるそれを無の境地と言っている。
それはとても貴重な体験とされている。


何気ない瞬間に無を経験することはあるが、
この無の境地を意識的にしっかりと認識し続けていくのはとても難しい。

瞑想は無の境地を意識的に自分の中で不断のものにするためのトレーニングだ。

無の境地を自分自身の中に確立していくこと、
このことは瞑想の実践でいずれ実現するだろう。

だがこの無の境地は私たちにとって何かの役に立つものなのだろうか。

財産は明日の生活を保証し安心を与えてくれる。
仕事は生きることに満足を与えてくれる。
パートナーは寂しさを癒してくれる。
無の境地は私たちに何を与えてくれるだろう。

無と言うのは何も無いので与えるものがない。
だから財産や仕事のような人生に役に立つものなど何も持っていない。

何にも役に立たないのなら、それを求めることに意味があるのだろうか。

瞑想して一生懸命に求めていった無が実は役に立たないと知れば、
現実的な世界を求める人はそこから離れていく。

瞑想をすればもっと人生に役に立つ何かが得られると思っていたのに、
無とかいう役に立たないものを見つけるためだけだったと落胆する。

そんな役に立たないことに興味を保つ必要はないと無を無視して、
もっと人生に役立つものへの探求に切り替える。

無に意味はないと断定した人がそう切り替えるのも無理はない。
それはそれで非難しようがないほど正論だ。

だがそれでもこの無の境地を探し求めずにいられない人がいる。
何のためにそんなことをするのだろうか。

それは直感的に何も無いということが自分自身の本質だと感じているからだ。
それはただの何の確証もない直感でしかないかもしれない。

だが自分自身の本質を探り当てることは理屈ではなく、
それが役に立つかどうかさえ関係ない。

自分自身の真実を本能的に知りたいだけだ。
そう思う人だけが無というものに長く向き合うことになる。

それが人生に役に立つかどうかということを超えて、
人生の貴重な時間という大きな代償を払ってでもそれを理解することを求め続ける。

確かに財産はあれば嬉しいし、仕事も人生を豊かにしてくれる。
パートナーがいれば、生きることにうるおいを感じるだろう。
そこに自分自身の価値を置くことも分かる。

まっとうな仕事をして、社会に認められ、
より多くの財産を築き、より良き家族を持つことで自分の価値を高める。
そうであれば幸せだ。それが人生の価値だ。

それはまさしく否定しようがないほどの人生の大事な部分だ。

だがそれらは幸せで役に立つかもしれないが自分自身ではない。
そして必ず失われるものだ。

手に入れたものは必ず失われ、
役に立つ価値あるものはどんなものであっても自分自身ではない。

そんな自分自身でいることは不確かなものだ。

だから私たちは世界の経験にもっと確かな手応えを求めたくなる。
そして私たちは実際にそうしてきた。

確かに世界は存在し、そこで手応えを感じて成功することもできたが、
それは必ず失われ、そこに不確かさが必ず残る。

何度もそんなことを繰り返してきた。
それは確かに見えて実は確かではない。

そこに自分自身を見出すのは苦痛でしかない。
いま手にしようとしているものは必ず失われるものだ。

自分自身の成功を手にしようとして失うという苦痛を準備している。
この失うという苦痛を解放してくれる唯一の可能性が無だ。

だが私たちの本質が世界に存在するものではなく、
自分自身の内にある無だということを信じられるだろうか。

世界は無でつくられている。
無というのはすべてを生み出す源泉だ。

宇宙が出来る前は無だった。
そこには何もなかった。

何かの原因で突然それは膨張して、
宇宙というエネルギー空間をつくり物質を発生させた。

そうして世界は出来上がっていった。
社会も人間も、財産も感情も、すべてはそこから生まれてきた。

すべては例外なく無から誕生した。

無があったからこそエネルギーは生じた。
私たちはこの宇宙のエネルギーによって存在している。

つまり私たちの存在は今もこの無に依存している。
私たちの存在の本質は無だ。

無は財産や命のように決して失われることがない。
いつでもそこに在る。

このことを知れば世界の出来事に自己の本質を委ねる必要はない。
自分の本質は無であると知っていればいい。

このことを理解しても何の役にも立たない。
相変わらず私たちは世界の出来事の中で苦悩したり喜んだりするだろう。

だが移ろいゆく幻想の世界にあって、
自分自身の内なる無だけが、
変わることのない唯一の真実だと知って生きていくことができる。