新しい瞑想法を始めた。
そのころ、フィックス師なる人物に興味があり調べていた。
日本でもフィックス師の瞑想ができることを知り、伝授を受けた。
私にとって、ちょっと長い付き合いになる瞑想法だ。
この瞑想法にはいくつかの種類があり、段階を追って進めていく。
瞑想によって身体や心の不純物を取り払い、
自分の潜在的な能力を目覚めさせる。
いくつかの瞑想法によって、
だんだんとより深いところのクリアリングをしていく。
それぞれの瞑想ごとに特徴がある。
豊かになる、英知に溢れる、アンチエイジング、
その種類は数十種類に及ぶ。
この瞑想を始めてから3年くらいして、
フィックス師と直接コンタクトを取ることができた。
それまでインターネットにほとんど情報がなかったが、
突然、フィックス師の瞑想サイトがアップされた。
私はコンタクトを試みた。
その当時はちゃんとした翻訳ツールがなく、
ほんとにひどい英語でメールのやりとりをした。
結局、日本語のできる方が間に入ってくれて、
現在のフィックス師の活動をちゃんと知ることができた。
その流れで、フィックス師の瞑想ワークショップへの参加を誘われ、
私は開催地のアメリカに行くことになった。
フィックス師に初めて会ったのはリノの空港だ。
第一印象は普通の人だった。
特別なオーラみたいなものは何も感じなかった。
それでちょっとホッとした。
一緒にいて疲れることもない。
なぜか昔から知っている人のような気がした。
ネバダ州のリノという町のモーテルで10日間過ごした。
新しい瞑想法を伝授され、
キングサイズのベッドが2つもある部屋で、
ひとり夜も眠らずに瞑想をした。
昼間は参加者全員が会議室に集まり、フィックス師の講義を聞いた。
これだけちゃんと瞑想について講義を受けたのは初めてだった。
悟りについて初めて話を聞くことができた。
いままで、瞑想だけがむしゃらにやればいいと思っていたが、
やはり知識の部分もバランスよくあることで、理解は深まると実感した。
フィックス師に出会えたことはとても大きな意味があった。
10日間瞑想に浸ったが、そこで特別な何かが起こったわけではない。
特別な衝撃的な経験などは起こらなかった。
それでがっかりしたというわけではない。
むしろ新鮮な気持ちになれた。
一皮むけたような感じだ。
アメリカのワークショップに参加した数カ月後、私はタイのチェンマイにいた。
私は6週間の瞑想の教師になるコースに参加していた。
このコース受講後は瞑想法を伝授していく教師にになる。
瞑想を教えられるようになるため、フィックス師の話を必死でメモした。
瞑想を教えられるようになることにワクワクしていた。
だけども、まだ私は悟りを得ているわけではなかった。
フィックス師の瞑想は、瞑想でカルマを解放することで、
啓発(悟り)に至ることができると教えている。
瞑想はカルマの解放を促すためにある。
カルマの解放が進めば、深い空の経験をする。
それが啓発につながっていく。
瞑想の教師になったことは嬉しい事だった。
瞑想を教えられることは楽しいことだった。
日本に帰国してから10年くらい瞑想を教えた。
たくさんの人に瞑想法を伝授した。
自分でもたくさん瞑想をした。
瞑想について、たくさんのことを語り合った。
ある日、ふと自分自身を振り返ってみた。
これだけたくさんの瞑想経験をしても、私はまだ悟りを得ていない。
自分がそこからしばらく離れていたことに気がついた。
瞑想法を教えることに夢中になって、悟りを疎かにしてきた。
私はいつの間にか悟りをよく分からないものというレッテルを貼って、
心の隅に追いやっていた。
ここで私は何で瞑想を始めたのかを鮮明に思い出した。
悟りを得るためだ。
瞑想を教える立場になって、悟りを忘れていた。
心の隅から、もう一度それを引っ張りだした。
悟りから逃げることなく、はっきりさせなければならない。
それを思い出すまで10年が経過していた。