2014年5月27日火曜日

12. 心が小さな塊ではなく果てしない空間だと知ったとき

心は私たちが思っているよりも遥かに広くて深い。

心は思考や感情の塊ではない。
私たちはそれに焦点を当てるために心が小さな塊だと思っている。

だが私たちが悩みや感情で心をいっぱいにしていると思っている時でも、
心全体からすれば、それはほんの僅かなささやきでしかない。

心のほとんどが空間だ。
まるで宇宙に似ている。

私たちは夜空に沢山の星を見るが、
宇宙空間は星で満たされているわけではない。

そのほとんどが空間でできている。

もし自分自身が心だと思うのならば、
自分自身とはそこで起こっていることというよりも、
何も起こっていない空間だと言える。

それは今目の前で起きていることを無視するということではない。
それは自分に起こるし、それに対処しなければならない。

そうすることが人間として生きていることの普通の反応だ。
だがそれだけに関わっていると自分を見失い続ける。

自分とは空間だ。塊ではない。
あまり意識することはないが、そこには空間としての余裕がある。

それは自分に起こることを受け入れるに余りある十分な空間だ。
それを知れば起きていることと同時に何も起きていないことを知る。

起きていないことが大多数を占めていて、
起きていることは微かなことだ。

それが起きていることを知りつつも、
空間のようにそれに全く影響を受けずに存在している自分も存在している。

それが私たちの心の可能性だ。

起きていることに焦点を当てて、
それだけを自分のように思えば心は狭くなる。

だが現実には宇宙のような広大な空間が心を支配している。

それを知ったとしても世界は何も変わらないかもしれない。
だが自分自身は変わっている。

自分自身は広大な空間であり、
そこで太陽が爆発しようとも、星雲が砕け散ろうとも、
空間であることは変わらない。

全ては自分の中で起こっていて、
それは宇宙空間のように全て許容されている。

もしそんな自分自身に目覚めたのなら、
耐えられない苦痛が起きたとしても、
それは果てしない空間で起こった星の小さな瞬きだと知っている。

それは出来事や感情を無視したり軽んじたりすることではない。
私たちはそれを重要視する。

それと同時に自分とはそういった体験だけではなく、
その周りの空間であることも知っている。

出来事に距離を置いたり、それを分離しようとするのではない。
自分は空間だと何度も言い聞かせることでもない。

どんなことが起きても、それで混乱したとしても、
ただそうだと黙って知っている。

私たちはこの自分の心の中に果てしない空間を知ることができる。
そこが自分自身だと目覚めることができる。