運命はあるのだろうか。
私たちは決まった運命はないと思っている。
だから自力で運命を切り開こうとしている。
自分の努力が実って思い通りのことが起こったなら、
それは自分が運命を切り開く努力をしたからだと思う。
どうすれば思い通りに運命を切り開くことができるのか、
私たちはその努力の方法を求めている。
そこにはひとつの法則のようなものがあるかもしれない。
探せば法則らしきものも見つかるかもしれない。
だがそれは見つかったとしても完璧ではない。
誰もが同じ成果を得られるとは限らない。
たとえ成果を得られたとしても、
それを失う法則によって、それは消え去る。
人生を切り開くことも失うことも決まっている運命だ。
ただ運命が決まっているからといって失望する必要はない。
私たちがよりよい人生を目指して努力することはいいことだ。
いつか私たちはより良い結果を得るだろう。
だがどういう選択をするのか、どういう結果を得るのか、
その運命は世界が決めることだ。
思考の水平線を超えたところには運命はない。
そこは動くことのない中心なので運命が入る隙間がない。
そこは自分自身の中心であり、自分自身そのものだ。
そこでは私たちには運命はない。
私たちの思考や行為がなぜ起こるのかは分からない。
それは突然沸き上がるエネルギーのように起こる。
どんなに自分で運命を変えようとしても、
このエネルギーには逆らえない。
すべてが人智を超えた運命の中の出来事だ。
だが私たちの人生は運命の中で翻弄されるだけではない。
その枠の外に出ることができる。
それが自分自身の中心に向かうことだ。
それさえも運命なのかもしれない。
ただそれは運命から離れることの出来る場所へ向かう運命だ。
一時的に満たされることを得るためのものではない。
そこで永遠に運命の呪縛から解放される。
そこに行き着くことで、
私たちはそこが運命から自由になる場所だと知る。
これが本当に運命を切り開くということだ。
一時的に人生を思い通りにするのではなく、
自分自身の中心を見つけることが運命を極めることだ。