2014年12月20日土曜日

沈黙の中で神は語る:第五章(1)私

私が神だとして、マインドがそのことを知ったとして、
私が変わることがないなら、
私は何のために自分の中に神を見つけようとすればいいのでしょうか。
何の目的もなければ、その目的に魅力がなければ、
私は神を見つけることに熱意を注げません。

もし神を見つけることで新しい世界が開けるなら、
私はそれを目的とすることができます。
いまの行き詰まった状態から脱することができるなら、その価値があります。
そうでなければ、自分の中に神を見出すことに意味を見い出せません。
私はここでただ神から神秘的な話を聞いただけで終わるでしょう。

それよりも目先の幸福を目指したほうが現実的に思えます。
現実的に私は毎日問題を解消し、苦しみを取り除き、
楽しいことで満たされるために忙しくしています。
こんな私に神へと誘える何かがあるでしょうか。

現実的な生活を疎かにすることはできません。
現実的に満たされて生きることは大事です。
現に満たされることは何度も起きています。
私はこの満たされた経験を永遠のものにしたいのです。
途切れることのない充足感を望んでいます。

神の話は私が望むこととは違うようです。
神が話されることは、私の望みを打ち砕くものです。
神は無駄なことへと私を駆り立て、
失敗を積み重ねることへと導いているようです。

私が神だと知ったとしても何も変わらず、
神はただ人生で起こることを受け入れて生きて行けと言われています。
それでは今までの私と何が違うのでしょうか。
それでは満たされないまま、人生の浮き沈みに翻弄され続けます。
それで満たされていると言えるでしょうか。

私はきっとそれに抵抗するでしょう。
もっと現実的に満たされるところに目を向けるでしょう。
それを我慢することはできません。
より良い結果が目の前にあるのに、それに手を伸ばさないでいることはできません。

自分が神だと知ったところで、それが無力であるなら、
私はこの世界の苦楽を選択するでしょう。
そしてその先にある永遠に満たされた世界を手に入れたいと望みます。
そのために私はより多くの知識や能力を得て、自分を高めていくことを選択します。