私はあなたとしてここにいる。
私はあなたとして存在するものだ。
私はあなたにいつも無言で語りかけている。
だが、あなたの思考が私の無言の言葉をかき消している。
それであなたは私が無視していると思っている。
私はあなたが神と呼ぶ者だ。
だが神という言葉は便宜的なものだ。
神という言葉から連想される姿は人それぞれに違う。
人の数だけ神という言葉から連想される姿がある。
神は一人しかいない。
これは真実だ。
だが神はひとつの名前で言い表されるものではない。
私は神だが実際には名前がない。
だから人は神にいろいろな名前をつける。
神に名前をつけることで、誰にでも分かりやすくなる。
だがこの名前がひとり歩きをする時、誤解が生まれる。
名前が違うため、誰かがこの神は真実であの神は偽りだと言い始める。
神は一人しかいない。
だからあの神もこの神もない。
神に付けられた名前が違うだけだ。
それは間違いだと人々を諭すこともない。
どんな名前で呼ばれようとも、それで神自身が変わるわけではない。
神自身はそれで何も困らないのだ。
神は何かの言葉を発することはない。
いつでも無言だ。
神が語るとすれば無言で語る。
神が言葉を発するとすれば、その言葉はマインドが語っている。
神に触れることができたマインドが無言の神の代弁者となる。
言葉は神ではなくマインドだ。
だが神が無言である以上、神の言葉を伝えるにはマインドを通す必要がある。
神を語ることができるマインドは神を知っていなければならない。
マインドには二つの立場がある。
ひとつは人間として生きているマインド、つまり人間としての「私」だ。
このマインドは感覚や思考が自分だと思っている。
もう一つは神を知っているマインドだ。
このマインドは「私」が意識の深層部に宿る神だと知っている。
自分がこの神と分かつことのできない存在だと理解している。
この神を知っているマインドだけが神の言葉を語ることができる。
だがマインドはそれが単なる思考にすぎないと知っている。
それは神自身ではない。
神を知っているマインドが言葉を語っているだけだと知っている。
この神の言葉が真実を語るとは限らない。
神の存在は真実だが、その言葉には表現の限界があり、言葉を受け取る人の理解力の問題もある。
神の言葉が真実になることはない。
真実を示すことはできないが、あなたが求める真実への道筋にはなる。
実際に真実を見つけるのは自分のマインドだ。
真実を知りたいのであれば、言葉の理解を超えてマインドがそれを直接知らなければならない。
自分で真実を見つけたとき、あなたのマインドは真実を知るマインドとなる。
そうして人は自分が神であることを理解する。
真実を知るために、人は人生において疑問を抱く。
その最初の疑問は「自分とは誰か」ということだ。
その次に「人生とは何か」という疑問が起こる。
人は二番めに現れた「人生とは何か」という疑問に多くの時間を費やす。
それが解決されなければ、「自分とは誰か」という疑問に取り掛かれないと思っている。
そうして多くの人は人生とは何かを考えている。
人生というものは自分にとって現実的な問題だ。
人生において満たされる方法を見つけることが、
人生とは何かという疑問を紐解くことになると信じている。
あなたは現実的に満たされたいと思っている。
そしてあなたは満たされるために、あえて苦しみを選択している。
その苦しみの結果として、満たされることを受け取りたいと期待している。
苦しみの時期が終わると、満たされる時が来る。
その満たされるときも終わり、再び喪失という苦しみの時間が訪れる。
そこで導き出される「人生とは何か」という疑問の答えは、
人生とは苦しみの末に満たされることが起き、それは必ず失われるということだ。
これがあなたの知っている人生の真実だ。
それは真実だが、あなたはもっと満たされ続けるべきだと思っている。
この答えでは満足せず、もっと長く満たされるために何度も苦しみの中に身を投じる。
だがそこで答えを得ることができないでいる。
人生への疑問への答えを導き出すためには、その質問を適切なものに変えなければならない。
人生の出来事に答えを見つけようとしても、それは必ず変化し失われていく。
そこで満たされ続けることはできない。
そこから最初の疑問に戻るのだ。
「自分とは誰か」と言う疑問だ。
満たされたいと思っているのは誰なのか。
あなたは満たされたいと思っているが、そう思っている自分自身が誰なのかを知らないままだ。
あなたは自分が誰かを知らない。
誰が求めているのかも知らないまま、何を求めるかに取り憑かれている。
もし満たされ続けることが人生の中で見つけることができないなら、
それを求めている自分自身をまず知ってみることだ。
そこがあらゆる疑問の原点だ。
そこから人生への疑問を解く糸口をあなた自身で見つけることができるだろう。