ヨガというのはひとつに統合するということだ。
すべてはひとつであり、そこに私たちも含まれている。
私たちはすべてがひとつだということを理解しようとしている。
私たちはひとつになることを求めている。
ひとつになることが私たちの目的地であり、
そこに辿り着ければ、永遠の至福が約束されている。
だが、現実には私たちは分離しようとしている。
共通点を見つけようとするよりも、
自分という個性を際立せようとしている。
自分自身に壁を作って、他を寄せ付けないようにする。
許された者だけが一時的に行き来することができる。
細胞のように壁を作り、分離することで自分を守っている。
私たちはひとつになることを求めているが、
実際に自分がやっていることは分離することだ。
そのため、私たちが求めることに辿り着くことはない。
絶対にそこに辿り着けないよう、自分で壁を作ってしまったからだ。
私たちの願いは、まるで叶うことのない夢のようになってしまった。
自分自身の身体、考え方、生活方法、知識、能力、性格など、
そういったものを強固にしていって、自己を防衛するのだ。
防衛しなければ、私たちは自分というものを失ってしまうと思い、
そのことにひどく恐怖を感じている。
私たちは自分の人生の質を上げたいと思っている。
それは努力が必要だが、努力によって成果が与えられる。
より安定的な生活、豊かな財産、楽しい人間関係、高い充実感など、
私たちが価値を認める何かを得て満たされようとする。
だが、それはひとつになることを諦めるという犠牲の上に成り立っている。
それが自分の人生であり、
それで満足しているなら、ひとつになることを諦めてもいいではないかと思う。
ひとつになることなど、どんな価値を与えてくれるか分からないのだ。
そんなことを求めなくても、私たちは自分自身を高めることができる。
私たちはそうしてひとつになることを無視してきた。
だが、それによってカルマを背負うことになった。
カルマは分離によって起こる特有の現象だ。
自分に壁ができて、それが強固なほどカルマは強くなる。
カルマとは自分の行為による記憶が元になる。
自分の行為が原因となって、不幸や苦悩が自分に起こっていると感じるのだ。
このカルマを軽減するために、私たちはカルマを減少させる努力をする。
だが、その努力は自分の壁を強固にする結果となり、
かえってカルマは壁の中で増殖することになる。
私たちは壁の中のカルマの増殖で大混乱になる。
このカルマを解放するには壁を崩さなければならない。
そうすれば、カルマを壁の外に追いやることができる。
私たちは壁の一部を崩してカルマを少しだけ解放する。
そして、また壁を閉じる。
私たちがそうしてカルマを解放しても、何の問題解決にもならない。
自分の壁がある限り、カルマは壁の中で増殖し、壁を崩すまで減ることがないのだ。
いつか私たちはこの壁の存在が問題なことに目を向ける。
私たちはいつまでも愚かではいられない。
ただ、壁を壊しても問題ないという確信がほしい。
そのために少しずつ壁を壊していく。
だが、壁を壊すことが恐ろしくなり、また直したりもする。
そうして行ったり来たりを繰り返しながら、
自分という壁がなくても大丈夫なことを知る。
自分という壁を取り払ったとき、
壁の向こうにも自分がいて、それとひとつになる。
自分と自分が出会って、そこでひとつになるのだ。
自分が分離しているということが不自然な状態だった。
こうしてひとつになって、私たちの存在自体が安定したのだ。
壁がなくなったため、カルマはそこに留まることができずに去っていく。
カルマという状況でさえ、もうなくなったようなものだ。
私たちは人生で価値ある成果を求めてきたが、
ひとつになることほど完全なことはなかった。
ひとつになることに比べたら、努力して得てきた成果などは色褪せて見える。
それは比較される対象でさえない。
ひとつになることは自然なことだ。
私たちは壁の向こうの自分とひとつになろうと引かれ合っている。
だが、私たちは壁の向こうの自分を知りたくないという思いもある。
その自分に出会ってしまえば、いままで築き上げてきた自分が崩壊すると思うからだ。
私たちが知らなければならないのは、壁が自分の境界ではないということだ。
自分自身の枠組みを自分としている限り、私たちがひとつになることはない。
私たちが本当に求めることを実現するには、壁を自分とすることを止める必要がある。
実はいまでもそこに壁などなかったのだ。
壁を取り払うことは簡単だ。そこに壁などないからだ。
壁を取り払うためには、そこに壁はないと知ることだできればいい。
私たちが壁の向こうの自分と出会ったとき、
いままでの自分が崩壊するどころか、いままでの自分が崩壊していたのだと知る。
崩壊していた自分が壁の向こうの自分と出会い、そこで完全になって救われるのだ。
私たちはいつかこの自分と出会ってひとつになる。
このことは必ず起こる。