2015年4月19日日曜日

冥空のリアル:24:中心にいること


私たちは自分がこの世界に存在していることを知っている。
私たちにとって大事なのは、この世界でどう存在するかだ。
自分の理想とする生き方や将来像を描いて、
それに向かって生きていく。

だが、私たちは成功するときもあれば、失敗するときもある。
成功したとしても、それが終わりではない。
それを維持したり、もっと成功させようとする。
失敗したとしても、人生がそれで終了するわけではない。
成功するための可能性を求めて、何度でも挑戦する。

私たちが世界でどう存在するかを中心に人生を描いているなら、
私たちの存在は成功するか失敗するかということで判断される。
現実には成功も失敗もひとつの通過点に過ぎず、
私たちはそれを自分の中心に据え置くことはできない。

私たちはそこに自分の中心を見つけようとして生きていくが、
どんな成功も自分の中心にすることができず、
いつも不安定で満たされることがない自分だけが取り残される。

この不安を解消するために、
成功することを捨てて本当の自分を見つけようともするが、
目を世界に向けている限り、それを見けることはできない。

私たちの中心は世界の中にはない。
ないものを世界の中に求めても見つかるわけがない。
楽しい思いや充実した感覚は世界にあるだろう。
だが、それは過ぎ去っていくものなので、
自分の中心にすることができない。

自分の中心は自分の中にある。
それは心の奥底にある。
心の奥底にあって、私たちはそれを見つけることができない。
それは見つけることのない場所にある。

瞑想することで、心を静めてじっとしていると、
そこに自分の中心が現れてくる。
それはぼんやりとしている。
それを捕まえようとすると消えてしまう。

それを捕まえようとしてはいけない。
自分の中心は捕まえるのではなく、自由にさせておく。
そうすると、それは自分とひとつになる。

捕まえようとしていた自分とそれが、
静けさの中でひとつの存在になり、
そこではじめて自分が中心に据え置かれるのだ。

そうなったとしても、
自分に起こる世界の物事には何の影響もない。
世界は相変わらず私たちの周りで物事を起こす。
私たちはただその中心にいる。

もし、世界の中に自分を求める気持ちが残っているなら、
私たちはこの中心を捨てて、また世界に目を向けるだろう。
私たちの中心に対する理解が及ばなければ、必ずそうなる。

私たちは成功を求めていたが、
この中心いることがとても成功とは思えないのだ。
自分は世界の住人なのだという思いが蘇る。
そうしてまた、成功するか失敗するかを自分自身とする世界に戻っていく。

そうならたないために、私たちは心の奥の自分自身の中心について、
もっと時間をかけて理解する必要がある。

そうして、それがまぎれもなく自分の中心だと理解し、
そこから離れることができなくなるまで瞑想をするのだ。
そうなったとき、そこに通過点ではない成功を見るだろう。