私たちは自分がこの世界に存在していることを知っている。
私たちにとって大事なのは、この世界でどう存在するかだ。
自分の理想とする生き方や将来像を描いて、
それに向かって生きていく。
だが、私たちは成功するときもあれば、失敗するときもある。
成功したとしても、それが終わりではない。
それを維持したり、もっと成功させようとする。
失敗したとしても、人生がそれで終了するわけではない。
成功するための可能性を求めて、何度でも挑戦する。
私たちが世界でどう存在するかを中心に人生を描いているなら、
私たちの存在は成功するか失敗するかということで判断される。
現実には成功も失敗もひとつの通過点に過ぎず、
私たちはそれを自分の中心に据え置くことはできない。
どんな成功も自分の中心にすることができず、
いつも不安定で満たされることがない自分だけが取り残される。
この不安を解消するために、
成功することを捨てて本当の自分を見つけようともするが、
目を世界に向けている限り、それを見けることはできない。
私たちの中心は世界の中にはない。
ないものを世界の中に求めても見つかるわけがない。
楽しい思いや充実した感覚は世界にあるだろう。
だが、それは過ぎ去っていくものなので、
自分の中心にすることができない。
自分の中心は自分の中にある。
それは心の奥底にある。
心の奥底にあって、私たちはそれを見つけることができない。
それは見つけることのない場所にある。
瞑想することで、心を静めてじっとしていると、
そこに自分の中心が現れてくる。
それはぼんやりとしている。
それを捕まえようとすると消えてしまう。
それを捕まえようとしてはいけない。
自分の中心は捕まえるのではなく、自由にさせておく。
そうすると、それは自分とひとつになる。
捕まえようとしていた自分とそれが、
静けさの中でひとつの存在になり、
そこではじめて自分が中心に据え置かれるのだ。
そうなったとしても、
自分に起こる世界の物事には何の影響もない。
世界は相変わらず私たちの周りで物事を起こす。
私たちはただその中心にいる。
もし、世界の中に自分を求める気持ちが残っているなら、
私たちはこの中心を捨てて、また世界に目を向けるだろう。
私たちの中心に対する理解が及ばなければ、必ずそうなる。
私たちは成功を求めていたが、
この中心いることがとても成功とは思えないのだ。
自分は世界の住人なのだという思いが蘇る。
そうしてまた、成功するか失敗するかを自分自身とする世界に戻っていく。
そうならたないために、私たちは心の奥の自分自身の中心について、
もっと時間をかけて理解する必要がある。
そうして、それがまぎれもなく自分の中心だと理解し、
そこから離れることができなくなるまで瞑想をするのだ。
そうなったとき、そこに通過点ではない成功を見るだろう。