2015年7月16日木曜日
スピリット・ウェイカー:ヨガへの道 #13
今の世界から踏み出すことは勇気がいることだ。
だが、そこから踏み出さねければ何も変わらない。
私たちは今の世界から別の世界に踏み出す必要があるか分からない。
今の世界でも十分に満たされていると思えば、
あるいは十分に満たされる可能性があると思えば、
この世界から別の世界に踏み出す必要性を感じないだろう。
実際に、私たちにとってはこの目に見えて感じている世界がすべてであり、
それ以外の世界などは幻想に過ぎないと思っている。
そのため、私たちはこの世界に留まり続けている。
この世界で一生懸命に生きていくことが最も大切なことであり、
そうしなければ、自分を満たすことができないと信じているのだ。
あるとき、私たちはこの世界に疑問を持つ。
一体何のためにこの世界で生きているのか。
それは仕事や娯楽で時間を費やすためだろうか。
快いことを感じて、幸福を実感するためだろうか。
それはそれで大切なことかもしれない。
だが、それだけのために私たちは生きているのだろうかと思う。
思考し、活動し、何かを感じて、そして時が過ぎていく。
それでいて私たち自身は何も変わらない。
世界は私たちを何かに変えることがない。
幸福なことが起こったとしても、それは時とともに過ぎ去っていく。
過ぎ去っていくということは、それは私たちの本質ではないということだ。
私たちは幸福を経験するが、幸福自体になることはない。
これが今の世界で起こっていることだ。
私たちは世界の薄っぺらい上辺のところでふらふらしている。
どんなに素晴らしい教えでさえ、その薄っぺらいところにある。
その言葉は私たちの心を満たすかもしれないが、
この世界にいる限り自分自身の本質にはならない。
そんなこの世界の虚しさを感じたなら、私たちはいくつかの選択をする。
投げやりに生きていくこともそのひとつだ。
どうせ何をしても同じだと刹那的な快楽を求めて生きていく。
一方で、そうではあっても、起こることに感謝しながら、
愛を抱きつつ生きることを選択するかもしれない。
だが、それはひとつのあきらめであり、
自分自身の本質に迫ることはない。
もうひとつはこの今の世界から踏み出していくという選択だ。
一過性の幸福を無理やり自分自身にしようとする世界から、
永遠の自己に統合する別の世界へと踏み出すのだ。
その世界は不動であり、知性があり、ひとつであり、変化せず、偏在している。
それは今の世界とはまったく違ったところだ。
だが、私たちは今の世界で幸福になることから簡単に離れることができない。
この世界以外に現実的な幸福を得られるところなどないと思っているのだ。
何の動きもない世界など、何の魅力があるというのだろうか。
別の世界とは愛とか永遠とか自由なんだと説明されたとしても、
実際にそれを目の当たりにした途端に、その意味の無さから失望して離れていく。
なんだかんだ言っても、私たちは今の世界で何とかすることが楽しいのだ。
そう思う人は、また今の世界に戻っていくだろう。
私たちは何の動きもない世界など、正直、何の魅力も感じない。
この思考が私たちを今の世界に押しとどめている。
この魅力ある世界をあとにして、別の世界に踏み出すことは勇気がいることだ。
別の世界では、私たちが期待することは何一つ起こらない。
だが、期待することが起こらないということはそう悪いことではない。
私たちがその世界に留まってみれば、その世界に動きがないということの本当の理由を知ることになる。
この理由を知って、はじめてその世界に来た理由を知ることができる。
私たちは様々なマスターからその世界についての説明を聞くことができる。
それはまったく魅力のない、退屈でつまらない世界だ。
わざわざ行く必要すら感じない世界だ。
そうであっても、ほんとうに自分自身を満たしたいなら、
その世界に踏み出さなければならない。
今の世界では、私たちが満たされないことは分かりきっているのだ。
私たちの勇気ある一歩が、ある意味無謀な一歩が、
私たちを変わらない真実へと導いてくれる。
私たちは真実について、理屈で理解することはできない。
どれだけ優れたマスターの言葉を聞いても無理なことだ。
真実はそこに行って初めて分かるものだ。
何の保証もない一歩を踏み出せる人だけが、それを知ることができる。
これがヨガへの道だ。
私たちはその世界自体と統合して、真実そのものになる。