2015年12月30日水曜日

14.感謝の気持ち:瞑想哲学



感謝の気持ちを持つことは大切なことだ。
だが、その気持ちは個人の都合に左右され、限定的で不安定だ。
もし私たちが自分の根源に触れるなら、そこには不変の感謝がある。
私たちがその根源になるなら、感謝自身になる。

私たちは感謝する気持ちを大切にしています。

感謝することはとても気持ちのいいものです。
それが気持ち悪いという人はあまりいません。

でも、私たちは人との関係にいつも感謝しているわけではありません。

何か助けてもらっても当たり前と思ったり、
心配してくれる人を疎ましく思ったりします。

私たちは自分の都合で感謝したり、しなかったりを決めています。

この差はなぜ生まれるのでしょうか。
それに私たちは一体誰に感謝しているのでしょうか。

感謝の気持ちになるとき、私たちの心は満たされています。
自分の中の何かが満足して、その満足に対して感謝の気持ちが生まれます。

感謝の気持ちはその相手が与えてくれたのものよりも、
私たちの心の状態に深く関わっています。


私たちの心が満たされたとき、
そのことに対して感謝の気持ちが湧き上がってきます。

私たちは人との関係性の経験を通して、
心が満たされ、そこに感謝の心を感じているのです。

つまり、私たちが感謝の気持ちになるためには、
心が満たされるという経験が必要だということです。

心が満たされている人は、いつも感謝しています。
そういう人は自分の意に反することが起こっても、それに感謝します。

感謝には三つの要素があります。
感謝する人、感謝される相手、そして感謝することそのものです。

これらは感謝ということを通じてひとつにつながっています。

私たち個人にとって、それらは別々に感じますが、
実は感謝ということを通じて、それらとある共通の状態を感じています。

その共通のことが、満たされるということです。
自分が満たされ、相手が満たされ、満たされることそのものがある。

つまり満たされることと感謝は同じことなのです。

心が満たされるとはどういうことでしょうか。
それはすべてに共通の存在に触れる時に起こります。

共通の存在とは、私たち自身の根源のことです。
私たちがそれに触れたとき、無条件で満たされます。

個人でいるときは、何かの経験を通して満たされた時に感謝が起こります。
そして、その満たされた経験を導き出してくれた相手に感謝の気持ちを感じるのです。

個人の場合は、このように感謝の気持ちになるために相手や経験を必要とします。

個人は経験を通して相手に感謝ばかりを生み出すわけではありません。
満たされない思いは疎ましい気持ちになり、裏切られたという嫌悪感を生み出します。

自分の思いと相手の行為がちょうど重なって、
調和的に満たされる時のみ、感謝の気持ちは起こります。

感謝の気持ちは、そういったつながりの状況にとても影響されます。
そのためとても不安定なのです。

感謝の気持ちを持つことはいいことなのですが、
個人が感謝する場合、こういった不安定さがあることも事実です。

私たちは瞑想によって自分自身の根源に触れることができます。
そしてその根源そのものになることもできます。

その根源はすべてであるので、
欠けているということがないため満たされています。

その根源そのものになるとき、私たちは自動的に満たされます。
自分個人の状況が最悪の時でさえ、満たされています。

私たちは、そこで無条件に満たさるということです。
それは絶対的な感謝であり、究極的な感謝そのものです。

自分と相手とその周りのこともすべてが根源でつながっていて、
そこで完全に満たされいれば、それは感謝にしかなりません。

根源においては、誰かに感謝するのではなく、
根源である自分自身に感謝しています。

この自分に感謝することが、すべての人に感謝することになります。
それは自分だけではなく、すべての存在の根源だからです。

感謝とは相手や世界によって生み出されるものではなく、
自分自身そのものが感謝だったのです。

ひとつの根源から、自分と相手と世界とに別れて、
それで感謝は限定的で不安定なものになってしまいました。

それでも、自分と相手が調和した時のみ、感謝の気持ちが現れてきました。
それは私たちはすべて根源でひとつだということを示そうとしていたのです。

私たちが感謝の気持ちを持たなければという義務感で感謝していても、
本当の感謝にはなりません。

感謝をたどっていった先でその根源そのものになり、
そこで失うことも変わることもない感謝そのものとなって、
はじめて失うことのない感謝になることができます。

私たちが感謝そのものになったとき、それは感謝ではなくなります。
それは根源的なひとつの存在そのものです。

個人がどんなに絶望的な状況にあっても、
それは満ち足りたまま存在しています。

個人にとっては、この存在が自分の内にあることが完全な救いであり、
見かけ上、自分と相手と世界の関係性によって感謝が生じているとしても、
実際には、私たちは根源的な存在に対して感謝の気持ちが起こっているのです。