2014年1月17日金曜日

ヨガ・スートラ 第1章(51節)サマディ:意識の統合状態

1. オン。今から統合体(ヨガ)についての教えを伝えていく。
2. 神聖な意識である統合体は様々な方向に向く精神的本質の制御を通してもたらされる。
3. その時には観察者は完全な本質の中で意識に到達する
4. それまで観察者は精神的本質の活動の中で網の目に絡まっていた。
5. 精神的活動は5つある。それらが5つの障害として主体となっているかどうか。
6. それらの活動は、健全な思考、不健全な思考、予測、睡眠、記憶だ。
7. 健全な思考は直接的な観察、帰納的な理由、信頼できる証言で構成されている。
8. 不健全な思考は物事の本質の認識に基いていない誤った理解だ。
9. その認識は対象を認識することに基づかない言葉や思考によって維持される。
10. 睡眠は物質的な物事が何も無いマインドの状態を維持している精神的な状態だ。




11. 記憶は認識された物事のマインドイメージを変更することなく保持することだ。
12. それらの精神的活動をコントロールすることは、好き勝手な振る舞いを止めて、意思を正しく使うことで成し遂げられる。
13. 意思を正しく使うとは絶え間なく神聖な存在の中に位置する努力だ。
14. 長時間、根気強く真剣にそれを続けるなら、そこはしっかりとした落ち着き所になる。
15. それを気まぐれに止めてしまうことは、きっとそこに感覚的な楽しみを渇望することに支配されている意識がある。
16. 神聖な人間を確立することによって、この成就は精神的活動のどの状態にあっても渇望から自由でいられる。
17. 対象との瞑想は、最初に外側を調べ、次に内側を判断する活動、そして満たされ、個の存在を実現するという段階をたどる。
18. 意思を働かせることで精神的活動を沈めたあと、ただ瞑想は元の瞑想の成果の上に留まる。
19. 自然な原因から起こる主観的な意識は、身体を忘れて静まり、主観的な性質に吸収されることで保たれる。
20. 他の見方では、それらは神聖な意識であり、次第に信頼、勇気ある正しいマインドフルネス、ひとつの鋭さ、知覚力に至る。
21. 神聖な意識は鋭敏で強烈な意思の最も近くに存在している。
22. 意思の強さは、弱い、中間、強烈である場合がある。
23. あるいは、神聖な意識はマスターの熱烈な支援によって得られる。
24. マスターは仕事に対する障害や束縛、仕事の種を撒いたり成果を上げることから自由な神聖な人間だ。
25. マスターの内面は全知の完璧な種だ。
26. 彼は時間に制限されないため、先人たちすべての教師だ。
27. 彼の言葉はオンだ。
28. そこにこの無音のオンの繰り返しと瞑想があるようにする。
29. そこから内側の意識の目覚めと障壁の除去が起こる。
30. 精神的性質を右往左往させている内面の意識に対する障壁は、病気、無気力、不信感、軽率、怠惰、不摂生、間違った考え、瞑想の段階に達する能力がないこと、それに達したときにそれを維持する能力がないことだ。
31. 深い悲しみ、落胆、肉体的な落ち着きの無さ、気を引き入れたり送り込んだりすることも、精神的性質をあちこちへと動かす原因となっている。
32. しっかりと本質に専念することがこれらに終止符を打つ方法だ。
33. 幸福と共鳴する、哀れみの心をもつ、神聖さを喜ぶ、不浄なものに取り合わないことで、精神的性質は慈悲深い平穏へとシフトする。
34. あるいは規則正しく気を送り出したりコントロールすることで平穏に到達するかもしれない。
35. 誠実に、根気強く、ひとつの対象に専念すること、もし完璧にこれを成し遂げたなら、マインドは安定に結び付けられるだろう。
36. それはまた精神を喜びで満たし光り輝かせる。
37. あるいは精神的性質から勝手気ままな振る舞いを取り除く。
38. あるいは夢や夢のない睡眠で得た知覚力で思案する。
39. あるいはハートにとって最も大切なことを瞑想的に深く考える。
40. このようにして、マスターは原子から無限まですべてを理解する。
41. 精神的性質の混乱がすべて静まったとき、澄んだ水晶のような意識は、知覚者であれ、知覚であれ、知覚されるものであれ、静止しているものの色を吸収する。
42. 知覚のバランスの取れた意識が、名称、留まっている対象、見解を一緒に溶け込ませているとき、これは外側の意識を含む知覚になる。
43. マインドに宿る対象が記憶イメージを取り払い、純粋に理解する考えとしてマインドの近くで色を失ったとき、これは外側も考察もない知覚になる。
44. この同じ二つの段階は、より繊細な実体の物事に言及するとき、マインドが判断する活動があること、あるいはないことと言われている。
45. 捉えがたい実体は、上昇する段階によって、識別できる特徴を何も持たない純粋な性質へと高まっていく。
46. 上記のことは限定的で条件付きの神聖な意識の段階であり、まだ個別の種を含んでいる。
47. マインドが判断する活動のない純粋な知覚に到達するとき、内側の自己の慈悲深い平穏が理解される。
48. その平穏の中では、知覚は信頼できる真実だ。
49. この知覚が特別なため、この知覚の対象は聖典や根拠のある推論から学ぶこととは別のことだ、
50. この知覚から湧き出る意識の印象は前のすべての印象に取って代わる。
51. この印象が消滅するとき、その後すべての印象が消滅するまで、純粋で神聖な意識は何の個別の種も残すことなく湧き起こる。

参考出典:Project Gutenberg's The Yoga Sutras of Patanjali, by Charles Johnston 
翻訳:佐藤宗一