瞑想で本当の自分自身を見つけたいなら、
見る方向を今までとは全く逆向きにする。
見る方向を今までとは全く逆向きにする。
このことを理解しないでいくら瞑想をしても、
永遠に自分自身を見つけ出すことはできない。
ただ見る方向が違うだけで、
自分自身を見つけ出すという瞑想の潜在力の発揮され方がまるで違う。
見る方向とは何だろうか。
通常、私たちは目で見て、耳で聞くように、
五感を使って生きている。
その関わりはこの五感を通して行われる。
人間の感覚は生きていく上でとても重要な要素だ。
私たちは世界の出来事を五感で感じ、
そしてそれを分析し体験として記憶する。
そのため私たちの感覚は常に世界という外側に向けられている。
これが今までの方向だ。
瞑想では五感は失われ、ただひとつの純粋な感覚になる。
この方向は世界に向けられているのではない。
自分自身の内側に向けられている。
そこには何もない。
それは失われていく方向だ。
今までは世界の出来事から何かを体験して、
何かを得る方向だった。
何かを得る方向だった。
私たちはこの方向しか知らない。
その方向だけに固定されていれば、
私たちは瞑想でも世界から何かを得ようとする。
失われていくことに抵抗して五感を働かせ、
その精妙な世界でも何かを体験しようとする。
瞑想も世界から何かを得られるのと同じだと思って、
失われていこうとするものを無理に引き戻す。
だが瞑想というのは肉体的な五感を閉じて、
世界との接触を絶ち、自分自身の内面と直接触れることだ。
今までの世界に対する感覚は全く必要ない。
それが瞑想の自然な作用だ。
もし失っていく方向に抵抗があるなら、
いつまでも瞑想の本来の潜在力は抑圧され、眠らされたままだ。
瞑想ではこの抵抗を止めなければならない。
五感で何かを感じようとすることを止めることだ。
瞑想で起こる自然な方向に自分自身を合わせていく。
それは世界とは全く反対の方に向いて進んでいく。
世界の反対とは自分自身の方向だ。
どんどん自分自身の近くへと感覚を動かしていく。
私たちは自分に近づけば近づくほど失っていく。
やがて感覚も思考も失われ、個人であることも失われていく。
何の感覚もなく、何の対象もなく、それが誰とも言えるものでもなく、
そんなところまで沈んでいく。
そこで何が失われただろうか。
自分だと思っていた沢山のものを失った。
だが絶対に失われないものがある。
それが本当の自分自身だ。
自分自身でいることのリアリティだ。
それと私たちが同化した時、
自分自身をはっきりと理解する。
この理解がやがて自分自身の核となる。
だがこの理解が起こった時、
再び何かを得ようとする働きが起こる。
それを体験化し、記憶化しようとする動きだ。
いままで休息していた方向が突然目を覚まし、
瞑想をまた世界と同じ扱いにしようとする。
だが自分で在ることは体験でも記憶でもない。
得ようとして得られるものでもない。
私たちはこの方向から何も得られないことにイライラしてくる。
自分自身は何故世界と同じでないのかと思う。
何もないことなど、
固定された方向での理解からは受け入れられないことだ。
これは仕方がない。
私たちは今までの方向から転換するために、
何度も瞑想をして自分自身の核に触れ続けなければならない。
そうすることでしか、この方向はなかなか変わらない。
世界の方向や自分自身への方向を繰り返しながら、
本当のことを理解していく。
まず自分自身への方向というものがあると知ることが第一歩だ。
感覚は失われ、自分の所有だと思っているものを手放し、
ただの存在になる。
この方向を認めいてくことで、
瞑想の潜在力は次第に蘇ってくる。
瞑想の潜在力が完全に蘇れば、
瞑想と自分自身とが完全に一体となる。
これ以上失うことができない程のところで、
純粋な自分自身で在ることを理解する。
その自分自身の存在のその一点から振り返って世界の方向に向いた時、
世界が自分になっている。
この方向は世界から何かを得ようとしていた方向だった。
私たちは確かに世界から何かを得る方向を向いているのだが、
今すでに世界を手に入れてしまっている。
そこから得るものは何もない。
だが世界は動いている。
そこでは身体も心も動いている。
感覚もあり、それは世界の出来事を感じて、
体験化し、記憶している。
体験化し、記憶している。
どそれでも私たちはその中心から離れることはない。
中心からそれを見ている。
そして世界の出来事としっかりと取り組んでいる。
それは世界も自分自身であるからに他ならない。
完全な一点から起こる意識の方向は世界を見ている。
もし自分自身であることから離れることがないのであれば、
この方向は自然な方向だ。
私たちが瞑想で自分自身を見出すためには、
この自然な位置を確実なものにしなければならない。
この自然な位置を確実なものにしなければならない。
私たちの位置は世界の中にはない。
自分自身の中にある。
まずそれを見つけることだ。
その方向にだけ自分自身への完全な理解が訪れる。