2014年4月28日月曜日

21. 小さな一点への瞑想が変えていくこと

瞑想には沢山の種類がある。
どんな瞑想法でも瞑想はできる。

だが、すべての瞑想法が悟りに到達できるとは限らない。

その瞑想法の持つ方向性が間違っていれば、
いつまでも体験だけの瞑想を続けることになる。

そして、その瞑想体験は個人的エゴを強化する。
体験はすべて個人的エゴのためにある。


瞑想で何を体験したかは、
個人的エゴにとって自分の壁を築く材料だ。

個人的エゴが瞑想体験でその壁を強固なものにするなら、
そこに悟りの可能性はほとんどない。

私は瞑想の方向など知らなかった。
ただ、闇雲に瞑想をして、神秘的な体験をして、
それを元にして個人的エゴを強化していた。

まさかそれが個人的エゴを強化しているとは思わなかった。
私は瞑想体験の積み重ねがいつか悟りに導くと信じていた。

だが、それは結果的に悟りから遠のくことだった。

この個人的エゴの壁を打ち壊すのは困難だ。
すでに壁を強固にするシステムはできあがっている。
ここは難攻不落の要塞と言ってもいい。

ただ一点だけ弱点がある。
そこを突いていけば、いかに強固な要塞でも簡単に崩れ落ちる。

その一点に向かった瞑想こそ正しい瞑想だ。
そこだけが、強固な要塞にあって、唯一悟りへとつながる道だ。

私はその一点に向かって瞑想をした。

どれほど瞑想したとしても、
この小さな一点に照準を合わせた瞑想をしなければ、
瞑想本来の潜在力を引き出すことはできない。

その瞑想以外では、悟りに到達することはできない。

ただ、その一点はとても小さいので、
なかなか照準を合わせられず何度も失敗する。

失敗すれば、この瞑想には意味があるのかと疑うこともある。

だが、個人的エゴは最高の自分自身を目指しているので瞑想を続ける。
悟りを見つけて、自分自身の壁を完璧にしたいと思っている。

その欲求がこの瞑想を続けていく力となる。

そんな揺れ動く個人的エゴの思惑の中にありながら、
瞑想はひたすら小さな一点を打ち抜いていく。

悟りを手に入れるために個人的エゴはこの瞑想に打ち込む。

まるで金脈を見つけるために、ひたすら穴を掘っているようだ。
だが、それは金脈ではなく個人的エゴ自身の壁だ。

その一点で個人的エゴ自身の壁を崩している。

その小さな一点が、小さな穴として貫通するとき、
そこに向こう側に小さな光が見える。

これが悟りの瞬間だ。
そして個人的エゴの壁の内側に光が差し込む。

そこから真実が壁の中になだれ込む。
それは圧倒的な力で拡大し、
あっという間に個人的エゴの壁を内側から崩壊させる。

個人的エゴはそこで全てを失う。
そして、いままでの自分の全てを悟りが支配する。

まるでドラマのような展開だが、
これらは瞑想の中で起こることだ。

この展開を引き起こす小さな一点はビンドゥと呼ばれている。

瞑想する人はただ目を閉じてじっと座っている。
その目を閉じた心の中で、
自己の存在の根幹を揺るがすダイナミックなことが起こっている。

人生には時間がある。
静かに目を閉じて座る時間がある。
そうして自分自身を見つめる。

この瞑想を始めなければ、個人的エゴの要塞は強固なままだ。
瞑想を始めれば、個人的エゴの要塞に小さな傷が記される。

小さな傷かも知れないが、
それでも本当の自分自身に少しだけ近づく。

瞑想をする誰にとっても今日が一番の瞑想日和だ。
今日の瞑想が自分自身の真実につながっている。