自分とは誰だろうか。
この問い掛けから全ては始まる。
そうして自分探しをする。
どこかに旅をするかもしれないし、
人生で何をすればいいのかを探そうとするかもしれない。
そして、これが自分の生き方だと思うことに出会う。
そこで自分という存在を形作っていく。
どんなことが好きなのか嫌いなのか、
どんなことが得意なのか不得意なのか、
どんな性格で、どんなスタイルで生きるのか。
そういった条件が揃ってくると、自分という存在がはっきりとしていく。
自己が形成され、自分自身の存在意義が固まっていく。
そして、これが自分だと自信を持って言える存在になる。
だが、それはしっかりと固まっていない。
好き嫌いや得意不得意は変わっていくものだ。
まだ全く違うことに興味を持って始めるかもしれない。
性格さえ変わるかもしれず、服装の好みもそうだ。
自分というものは変わっていく。
そうやって変わってくことが自分だと言えるかもしれない。
だが、変わっていく自分を信じられるだろうか。
自分とはこれだと確信したとしても、
それはいつも変わっていく可能性を持っている。
ある日突然、そんな自分を嫌いなって変えたくなるかもしれない。
自分とは何なのだろうか。
またそこに戻っていく。
仕事があって、楽しく遊ぶことができる。
興味が有ることに没頭できる。
それが素晴らしい人生だと思うかもしれない。
自分が本当は誰なのかを知らなくても生きていける。
むしろ余計なことに頭を悩まさずに毎日を送れる。
そんなときは自分が誰なのかなど考えること自体が時間の無駄だと思う。
毎日楽しい時間を過ごしていれば、それだけで満足だ。
みんなそうやって生きている。
だが、自分という存在の深さを知らないで生きている。
それはまるで小さな潮だまりが海だと思っているようなものだ。
潮だまりで遊んでいる方が楽しくて安全だ。
そこにしか目を向けなのであれば、本当の海を知ることはない。
本当の自分は絶対に変わることがない。
いろいろな自分をそこに作り上げる必要はない。
変わらない自分の中に見つけるだけでいい。
本当に変わらない自分がそこにいる。
それを見つけたとき、もう二度とその自分は変わることがない。
それを見つけることができれば、
自分が何をしても、何が得意でも、
何も欠けることなく生きていくことができる。
その変わらない自分を見つけることがすべてだ。
どれだけ人生を楽しんだとしても、
この自分自身の発見には遠く及ばない。