2014年5月8日木曜日

5. なんとなく生きている毎日に疑問を持ったとき

同じような毎日が繰り返されていく。
朝が来て学校や職場に行き、勉強や仕事をして家に帰る。

忙しいといえば忙しい。
毎日やることがある。

忙しく生きることはいいことだ。
それはそれで恵まれている。

だが、ふと何で生きているのだろうかと思う。
このままの毎日を過ごしながら、やがて年を取り死ぬのだろうか。

それでいいのだろうかと思えば虚しさが心をよぎる。

死ぬときにこれでよかったと思えるだろうか。
自分が生きたことに何も間違いはなかったと言えるだろうか。

突然私たちは地球に生まれた。
まるで有無を言わさずに放り込まれるように。

前世があるかもしれないが、殆どの人は覚えていない。
前世があるとしても、
それは一つや二つではないだろうから覚えていたとしてもあまり意味はない。

現実は今ここで自分が生きているということだ。
そして繰り返される毎日を過ごしながら、生きている意味を探りあぐねている。

なぜここで生きているのだろうか。

人生には楽しいことも苦しいこともある。
日々そういうことを経験しながら生きている。

だが、それらは一瞬の内に過ぎ去り、
また新しい一日が始まっていく。

時間だけはどんどん過ぎていく。
なぜ生きているのかはいつまでたっても分からない。

必死になって毎日を生きていても生きることの何もつかむことができない。
生きていることが無味乾燥なことのように感じる時もある。

そんな風に生きていることに虚しさを感じるのであれば、
死んでしまってもいいのではないかと思う時さえある。

だが、死んでしまっては何もつかめずに生きているのと同じことだ。
どのみち嫌でもまた地球上に生まれ変わってくる。

なぜ地球に生まれるのだろうか。
ここで私たちは何をすればいいのだろうか。

生きることへの疑問は尽きない。
だが、この疑問を持つことが自分への目覚めの始まりだ。

そして生きていることが「何をするためか」という疑問は、
生きていると言っているのはいったい「誰なのか」に変わってくる。

この人生を生きているのは自分であるはずだ。

毎日がただ自動運転のように過ぎ去っていく生活に自分が同化してしまっているなら、
それはまだ自分が眠っているからだ。

「誰がこの人生を生きていると言っているのか」に目を向けたとき、
自分とはいったい誰なのかという疑問が起こる。

そして自分自身を自分の内に見つけようとする。
それを見つけたとき、本当の自分自身がそこで目覚める。

本当の自分自身が見つかったとき、
地球上で本当にこの人生を生きたといえる。

それは人生として完全だ。

地球に生まれてきた人生の目的はここで果たされる。
とても単純だがこれだけが地球に生まれてきた目的だ。

生きているということそのものに疑問が起こることを含めて、
すべての人生の出来事はこの自分自身を見つけることに向かっている。

疑問を持ち続けることだ。
誰が何と言おうと妥協せずにその答えを見つけ出すことだ。

最後には必ず自分自身に目覚めることが待っている。