私たちは神という言葉は知っていても、
神が誰なのか知らない。
誰も神を見たことがない。
誰も神と話をしたことがない。
それでも見えない存在として神がいるような気がする。
神社や教会や自然の中で透明な存在を感じることがある。
その存在の大きさは果てしなく、
その中にいる自分がとても小さく感じる。
それが真実かどうかは分からない。
神の名前もたくさんある。
どの神を信じればいいのかも分からない。
私たちが神のことを知りたいと思っても、
想像の中でしか神に触れることができない。
それでも世界は誰かによって創造されたから存在している。
この自分の身体さえ誰かに与えられたものだ。
世界や自分は確かに存在している。
これらの創造者は人知を超えている。
私たちはその見えない創造者を神と呼んで畏怖するしかない。
思考の水平線を超えたところに神が存在している。
神は私たちの中に存在している。
私たちは神を知らなくても、自分が存在していると分かる。
その存在が神だ。
存在している自分自身が神だ。
その存在は個人を超えている。
自分自身の中にある存在には名前がない。
名前のない存在が私たちの中心に鎮座している。
その存在に気がついたとき、
自分だけでなく、世界のすべてがそれで創られていることを知る。
存在はあらゆる場所に偏在している。
私たちが神だと感じていたのはこの存在だった。
何もない空っぽの心の状態でのみ、
この存在を確かめることができる。
出来事や感覚に目を向けている限り、
この繊細な存在を見過ごしてしまう。
それはいつでもそこにあるが、
あまりにも当たり前すぎて分からない。
神はそれほど私たちの近くにいる。
すべての存在を存在するべく無条件で支えている。