私たちはパワーを求めている。
日常の生活の中でパワーはあった方がいい。
自分のパワーが高いと人生が楽しくなる。
パワーを高めたり維持したりすることは大切だ。
そのために運動をしたり、食べ物に気を使ったりする。
パワーがある時は気力が充実している。
少々挫折があっても乗り越えられる。
問題を解決したり、新しいことに取り組んだり、
生きていくことそのものに勢いがある。
人生を充実して過ごすために、
パワーがあることはいいことだ。
年齢とともに体力は自然に落ちてくるし、
健康だとして体調が思わしくない時だってある。
認めたくはないが、パワーはいつでも変動している。
高い状態でパワーを維持するために、
私たちは落ちていくパワーを無理やり押し上げようとする。
パワーがあると思い込んで気力を奮い立たせたり、
栄養剤を飲んだりして身体に鞭打つ。
思考の水平線を超えたところにパワーはない。
何の動きもなく、パワーと呼べるものはない。
そこは静寂で、不動で、均一なところだ。
それは完全な無といえる場所だ。
だがすべてのパワーはそこから発生している。
そんな完全な無であるところが、
無限のパワーを生み出す基盤となっている。
どんなパワーでもその素材が必要だ。
素材は何かのパワーではない。
荒れ狂う嵐の海には水が必要だ。
水はパワーを伝えるかもしれないがパワーではない。
それは素材だ。
完全な無であることがパワーの素材になる。
それが動き出せば宇宙を創造することができるほどの力となり、
それが静まれば、何もない完全な無となる。
すべてのパワーは無に戻る。
そしてそこからまたパワーが生まれる。
私たちはパワーを失って無になることを残念に思うことはない。
それはもう一度パワーを産み出す源泉に戻ることであり、
そこからまた新鮮なパワーとして動き出すことができる。