神を見つけることは簡単なのだと分かりました。
私はそれについて思い違いをしていたかもしれません。
けれども神が何もしないということは理解できません。
神は愛や慈悲をもって世界を救うのではないでしょうか。
世界には愛や慈悲とは程遠い出来事が起こっています。
もし私が神だと知ったなら、それを放っておくことはできません。
神であるなら、まず人の苦しみを救ってから、
神への探求を薦めるべきではないでしょうか。
苦しみの中にあっては、たとえそれが簡単でも、
神を見つけるなどということは余計な問題を抱えるようなものです。
誰もそんなことは望まないでしょう。
いまの問題だけでも大変なのです。
もし神がその力でこの問題を引き受けて、
私たちから苦悩を取り除いてくれるなら、
きっと神のことを信頼するはずです。
そして神に感謝して、神を愛し、
もっと神のことを知ろうとするはずです。
なぜ神はそうしないのでしょうか。
私たちは神の言うことに耳を傾けるでしょう。
世界に苦悩しているために、
私たちは神の言葉を聞く余裕がないのです。
神は自分を見つけることなど簡単だといいますが、
そんな簡単なことができないほど、私たちは追い込まれています。
神がどれだけ教えを問いても、私たちにはそれを受け止める余裕がありません。
それは人が怠惰であったり、神を軽んじているからではなく、
世界で苦悩しているために、そこに向かうことができないのです。
神は私に自分を見つけろ、神を見つけろ、
それは簡単で誰にでもできると言いますが、
そこに時間を割くほど恵まれた人生ではありません。
世界での私の苦悩を取り去ってくれるなら、
私は神を見つける気持ちが高まります。
これこそすべてが上手くいく救済なのではないでしょうか。
神はそのためにおられるのではないのでしょうか。