2014年12月24日水曜日

沈黙の中で神は語る:第六章(2)神

現実の人生を生きていくことは大事なことだ。
神を見つけることは現実の人生を疎かにすることを薦めるものではない。
仕事をすることも身体や心を癒やすことも大事だ。

神を見つけるために人生を捧げる人たちもいる。
それはそれで立派なことかもしれない。
だが、それさえいつの間にか現実的な仕事になっている。
毎日の日課があり、それに従って生きている。
自由に生きているという人でさえ、やらなければならない仕事があるものだ。

神を見つけるということは、
そういった日々の仕事を疎かにすることではない。
それは毎日の生活の中で十分にできることだ。
少しの時間を使って自分自身の内面を静かに感じてみればいい。
そこに起こることではなく、そこに存在している自分を感じるのだ。

そこに確かに存在し続けている自分を確かめてみる。
思考やイメージは現れては消えていくだろう。
そんな中でもずっと存在し続けているのが自分自身であり神だ。
それを知ったとき、すべての誤解が解けていくだろう。

あなたは神を見つけることをとても困難なことだと誤解している。
それはとてもたやすいことだ。誰にでもできる。
神を見つけるために、
何か特定の条件を満たさなければならないといった能力さえ必要ない。

神を何十年も信仰してきた賢人より、
昨日神を見つけることを始めた人が早く見つけることもあり得る。
神を見つけることを困難にしているのは、
その探す場所を間違えているからだ。

あなた方は世界の中に神を見つけようとしている。
仏像や十字架やご神体の中に神が宿っていると信じて、それを神だと信じている。
それは真実だ。
どこにでも神は存在するのだから。
だが仏像や十字架が神なのではない。
その存在が神だ。
道端の草や石でさえ神だ。
だが草や石が神なのではない。
その存在が神だ。

このことを理解することは不可能ではないが難しい。
どうしても姿形や感触といった感覚が優先されてしまう。
それを簡単にしてくれるのが、自分自身の中に神を見つけることだ。
自分自身の中だから、時間や場所に制約されずにいつでも可能だ。
そしてそこは神に最も近い場所だ。

神に最も近い場所で神を見つけるために必要なことは、
神以外のものを取り除いてくことだけだ。
思考や想像、感情、感覚といったものを取り除いてく。
そして何も取り除くことができない時に存在しているのが神だ。
神だけは取り除くことができない。
神を見つけるために、これ以外にすることはない。
たったこれだけのことで神を見つけることができる。

もし神が見つからないなら、それは見つける場所を間違えている。
そして神を見つけることは難しく、そのための時間がないと嘆いている。

神はすぐそばにいて、あなたに見つけられるのを待っている。
神は動くことがないので、あなたに見つけてもらうしかない。
あなたに光を見せて場所を示すこともない。
それは親切でないと思うかもしれない。
だが神は思うよりも近くにいる。
近くに居過ぎるくらいだ。

あなたのマインドが神を見つけて、それとひとつになるとき、
神はあなたになり、あなたは神になる。
そして現実的に神とは誰なのかを知る。

あなたに神を知る熱意が起こらなくても、
あなたにはそれを知る権利がある。
その権利だけは決して失うことはない。
なぜなら今でもあなたは神として存在しているからだ。