2015年2月21日土曜日

冥空のリアル:07:最後に見つけること



私たちは人間としてこの世界で何かを求めている。
それは仕事や財産、パートナー、何かの能力、地位などだ。
私たちが求めるという性質を持っている以上、
そこで何かを求めるのは自然なことだ。

だが、それらを求めることには終わりというものがない。
私たちは何かを得ると、それを維持したり、もっと増やそうとしたり、
捨ててしまったり、失ったりする。
求めて何かを得るだけでは終わらないのだ。

私たちの得ようとする能力は卓越している。
真剣に求めさえすれば、財産や地位、能力などを実際に得ることができる。
得ることへの周到な計画を立て、それを手に入れるまで奮闘する。
その熱意は周りを圧倒するほど激しく強い。

だが、そうして得たものは必ず失われる。
なぜならそれは自分自身ではないからだ。
それらをどれだけ身近に置いて愛を注いだとしても、
それらは自分自身にはならない。
自分自身でないものはいずれ自分から離れていく。

私たちは失ったものを取り戻そうとしたり、
また新たなものを手に入れようとしたりする。
それを求める高い能力によって、私たちはまた何かを得る。
だが、それらはどれだけたくさん集めても自分自身になることはない。

この虚しい繰り返しは無限に続けられる。
そうして得ることでしか自分自身を確かめられず、
そのための高い能力を備えているため、
私たちは求めることを繰り返すしかないのだ。

なぜこのような繰り返しをしているのだろうか。
この得ては失う繰り返しは、
永遠に続けていかなければならないことなのだろうか。

私たちはこの求めるという高い能力を
自分自身を得ることに向けることができる。
私たちは何を求めるかが明確であっても、
誰が求めているかを知らない。

誰が求めているかを知らずに、
目の前にある明確な目標物に向けて闇雲に突っ走っている。
満足させるべき自分自身を知らなければ、
求めることで自分自身を満足させることはできない。

そこで私たちは自分自身を知ろうとする。
自分自身とは何者なのかを求める。
だが、自分自身を求めることは今までのやり方とは違っている。
いままでは何かを得ることで自分自身を確立しようとしてきた。
今度は自分だと思っているものを手放さなければならない。
自分自身でないものを取り外していって、
本当の自分自身の核心を見つけるのだ。
これは目に見える世界から何かを得ることとは違った難しさがある。
手放していった先に得ることになるからだ。

そこで求めるという高い能力が試される。
この困難な作業をやりぬくために求めるという高い能力があった。
いままでの求めることは簡単すぎた。
ここで求めるという能力を完全に発揮する時が来たのだ。

私たちは自分だと思っていたものを手放していく。
身体を手放し、思考を手放し、
純粋にこれが自分だといえるところまで深く探っていく。

ついに私たちは無の境地に辿り着く。
そこには何もない。
私たちは求めるという能力を使って、
何も無いというところに行き着いた。

私たちは自分自身を求めて何も得ることができなかった。
求めるという高い能力を使った結果が、何も得ることはない無だった。
ほとんどの人がこれを失敗だと片付けるだろう。
そしてまた世界の形ある何かを求めることに戻っていく。
だが、そのほんの少し先までいけば、本当の自分が待っている。
諦めずに無の境地をくぐり抜けたその先に自分自身がいる。

自分自身は無ではない。
それは確かに存在している。
だが、それは無のように姿形がない。
だから無として扱われてしまいがちだが、
存在しているという点で無ではない。
これが私たちの核心だ。
最後の最後まで諦めずに求める能力を使いきることで行けると境地だ。

すべてを捨て去って、私たちはこの存在に辿り着く。
誰もがここに辿り着けるわけではない。
求めるという高い能力を自分自身に向けて、
すべてを捨て去ることを厭わず、
無の境地に惑わされず、
その先の存在に触れた者だけがそれを見つける。