2015年4月14日火曜日

冥空のリアル:22:取り引きをすること


私たちは何かをすれば、それに対する見返りを求める。
それは人に対してであったり、神仏に対してだったりする。
何の見返りも求めない人もいる。
見返りを求めないことは高貴なことだが、
それでも気持ちの上で何かしらの満足を得ている。
それが悪いことだというわけではない。
この世界でそうして取引をすることは自然なことだ。

ひとつだけ取り引きをしては行けない場所がある。
その場所は自分自身の心の奥にある。
心の中は様々な思考や感情が入り乱れている。
そこでいい考えをすれば満たされた気持ちになり、
悪い考えには喪失感や嫌悪感がつきまとう。
私たちは心の中でそんな取り引きをしている。
そのことが絶え間なく続いている。

私たちは心の中を心地いい世界にしたいために、
いい考えを持つように努力し、その見返りとして満たされようとする。
悪い考えは不快な結果が返されるので気をつけなければならない。
私たちは何がいい考えで、何が悪い考えなのかを判断し、選別していく。
時々、悪い考えがいい考えの中に紛れ込んで、悪い結果が返されて混乱したりする。
そのため私たちは何がいいことで、何が悪いことなのかの判断を重要視する。

心の奥には神聖な場所がある。
そこは善悪を超えた場所であり、無条件にすべてを満たすところだ。
私たちにとって、こんないい話はない。
そこに行けば、善悪の判断を気にすることなく、誰でも満たされるのだ。

私たちは心の奥に行って、満たされようとする。
私たちはそこで気持よく満たされることを期待する。
だが、そこは取り引きをしてはいけない場所だ。
神聖な場所で、何かをする代わりに何かを得ようとすることは、
その場所を汚すことになる。
そこで取り引きをすれば、そこはいつもの心の中と変わらなくなる。

その場所で満たされようとしてはいけない。
心地いい世界を創ろうなどと思ってはいけない。
そこで私たちは何も求めるべきではない。
ただ、そこに静かにいることだけが唯一許されている。

そんなことを言われると、
私たちはそんな場所は役に立たないと思う。
自分の理想とする心のあり方とは違っている。
満たされるために、何かをするべきであり、
その結果をきちんと受け取るべきだと考え直す。
私たちは取引してでも、満たされることを求めるべきなのだ。

私たちはそこで取り引きをしてはいけないと言われると、
失望しながら、そう言って去っていく。
無条件で満たされるとか、そんないい話を信じた自分が愚かだったと思う。

それでも、その心の奥の神聖な場所はすべてを満たしている。
そこの静寂そのものが満たすことなのだ。
それは誰かを満たすのではなく、満たすことそのものだ。

もし私たちが善悪を判断する尺度をそこに持ち込めば、
その静寂の本質を見誤るだろう。
取り引きに慣れてしまった私たちの心は、
その場所を受け入れることができない。

私たちは善悪を超えるために、判断する心を捨てなければならない。
そこが満たされるかどうかという判断をしないで、ただそこにいることだ。
私たちがそこで取り引きを放棄すれば、何かを感じるだろう。
そこにいれば、満たすことを求めなくても、満たされること以外でいられなくなる。