私たちは真実を求めている。
私たちの求める真実は、自分に都合のいいものだ。
幸福な気分になれるものであったり、
良いことが周りに起こったり、
トラブルを避けることができたり、
穏やかな気持ちになれるものであったりする。
仕事に充実感があり、家族や友人関係が円満であり、
健康で金銭的に裕福であり、楽しい趣味を持っている。
そんな自分が本当の自分自身だと思っている。
もしそういったことを阻害するものがあれば、
私たちはそれを取り除くことが大事な仕事になる。
この取り除いていく仕事が、
真実に近づいていくことなのだと感じている。
真実を見つけられないと思っている。
それは自分の身体や思考に起こることも含まれる。
私たちは自分にとって良い体験をすると、
それを重要なこととして記憶する。
そこに自分の真実があると思っているからだ。
その体験から自分の行動や思考が良い方向に変わったと実感し、
それが本当の自分自身に向かっていることであり、
この道を行けば、いつか本当の自分自身になれると信じている。
それは生き方として間違ってはいない。
だが、その方向に自分自身の真実はない。
本当の自分自身は心の奥を見通して見つけ出すものだ。
身体や思考を含む世界の現象の中に真実はない。
だが、私たちが瞑想をして、心の中に真実があると知ったとしても、
そこに本当の自分自身を見つけたとしても、
私たちはまた世界に目を向けて、その真実よりも世界を重要視する。
現実的に自分自身の真実が何かよりも、
私たちにとって、世界が自分をどう評価するかが差し迫った問題なのだ。
世界に満たされるためには、自分はどう行動するべきで、
どう思考すればいいかを求め続けていく。
それが分かれば、自分は良い人生を送ることができると期待している。
そうして私たちは自分自身の真実を無視し、
それどころか、そんな自分自身になることを拒絶する。
自分自身の真実とは何の動きもなく、何の思考もない。
生産的でもなく、進化するということもない。
世界に自分自身を求めてきた私たちが、
そんな自分自身の真実を無意味だと思うのは当然だ。
それは私たちが期待している自分自身とはまったく違うのだ。
だが、世界の中に自分自身の真実はない。
私たちが内なる自分自身の真実を受け入れたとき、
はじめて私たちの人生が始まる。
私たちは世界に何かを求めるのではなく、
世界全体をその心の中に包み込んで生きていく。
