私たちはストレスを受けるので、癒やす必要がある。
癒しは私たちをストレスから解放してくれる。
だが、それはストレスから完全に解放されることではない。
ストレスから完全に解放されるには、癒しそのものになる必要がある。
私たちは癒やされたいと思っています。
そのため、自分を癒やしてくれる何かを求めます。
私たちは何に癒されるでしょうか。
それはお金であったり、好きな持ち物であったりします。
あるいは、食べることだったり、マッサージを受けることだったり、
好きな風景を見ることだったり、好きな人との触れ合いだったりします。
私たちは日々の生活の中で何かしらのストレスを受けて窮屈になります。
その窮屈さが苦しいので、それを解放するためにそういった癒しを求めます。
癒しは窮屈になった自分を解放して楽にしてくれます。
そして明日からのストレスを受け入れるだけの余裕を手に入れます。
私たちはたくさんの余裕が欲しいので、
何が一番自分を癒やしてくれるのかを探し求めます。
それはできるだけ自分に合っていて効率よく楽にしてくれるものです。
私たちはそんな癒しを見つけて、それによってストレスを軽くし、
人生をもっと楽しいものにしようとします。
ストレスが少なければ、自分から窮屈さが取り払われ、
それだけ人生を楽しむことができます。
ただ、私たちは日々ストレスを受け続けます。
これは生きている限り避けて通れないことです。
でも、ストレスが一概に悪いものというわけではありません。
むしろストレスがあるからこそ、
私たちは生きることに熱意を向けることができたりします。
私たちはストレスをバネにして生きることを楽しむ側面も持ち合わせています。
その場合、ストレスは楽しむことに変えることで解消されます。
ストレスにはそういった側面がありますが、
私たちを窮屈にさせる煩わしいものであることに変わりはありません。
人生を楽に生きるために、
私たちは自分自身でストレスを軽減させる必要性があります。
ストレスで窮屈になった自分を癒す方法はたくさんあります。
そこから自分の好きな方法を選択して、その効果を受け取ることができます。
身体や心を癒やす物事は、
ストレスで固まってしまった窮屈な状態を緩めて楽にします。
それは固まってしまったものを緩めていくというように作用します。
瞑想もストレスを楽にする方法のひとつです。
ただ、瞑想は他の方法と少し違ったメカニズムでストレスを軽減していきます。
では、どのようにして瞑想はストレスを軽減させていくのでしょうか。
瞑想は私たちを原初の状態へと導いていきます。
原初の状態とは、私たちが人間として生まれる前の宇宙の始まりです。
誰でも例外なく、この原初の状態から生まれたので、
いまでも私たちの心の深い場所でその状態が存在しています。
ただ、私たちはいつも身体の感覚や心の中の思考に気を取られて、
自分の中にあるその原初の状態に気がつくことができないでいます。
瞑想はそんな身体の感覚や思考を鎮めていき、
その結果、霧が晴れるように原初の状態がそこにあることを分かりやすくします。
私たちはそれを見つけて、それに触れます。
それに触れると、私たちは原初の状態に同化します。
それはまるで動きがなく、完全に静止しています。
それでいて永遠の時が凝縮されているようです。
そこは完全に静止しているため何もありません。
もちろんストレスもありません。
私たちの身体や心にストレスがあったとしても、
私たち自身のの中に、このようなストレスが及ばない場所があるのです。
私たちがそこに触れて、そこを感じていると、
ストレスがない状態に同化します。
瞑想から覚めた時もしばらくその状態が続きます。
そのため、私たちが身体や心に戻っても、ストレスは軽減された状態を維持します。
ストレスを軽減させる方法の欠点は、
自分自身から永遠にストレスを葬り去ることはできないということです。
私たちはストレスを解放するプロセスがある一方で、
日々のストレスを溜め込むプロセスも受け入れなければなりません。
どんな癒しでも一時的なことであり、
そのため私たちはストレスから逃れることができません。
ただ、瞑想で導かれる原初の状態は、
ストレスを完全に解放させるカギを握っています。
その原初の状態はストレスがないため、
もし自分自身がそこに完全に同化したなら、
二度とストレスを受け入れることなく、
よって解放する必要もないということです。
そこは元々自分自身の中にある状態であり、
それは自分自身だといえるところです。
それと同化することに無理はありません。
瞑想を続けて、自分自身の原初の状態に何度も触れて、
それを完全に自分自身としたなら、私たちにストレスはなくなります。
もちろん、私たちの身体や心はストレスを受けるでしょう。
それを癒す必要はあるかもしれません。
でも、原初の状態の私たち自身はストレスに影響されないので、
それが有ろうが無かろうが何の問題もなくなります。
つまりストレスがあってもいいということです。
そうして私たちはストレスから完全に解放されます。
身体や心のストレスを癒やすことも自由です。
そうしたいなら、私たちはそうするでしょう。
でも、それは自分のためではなく、身体や心のためです。
自分自身はストレスはなく、完全に癒やされています。
その癒やされている状態が自分自身である状態なのです。
そこではストレスに影響されて、
癒される場所に行ったり来たりする動きは起こりません。
そうして瞑想は私たちに完全な癒しを与えます。
それは癒しとは言えないかもしれません。
自分自身が癒しそのものになってしまえば、
そうでないものになりようがありません。
それが当たり前の自然な状態の自分自身なのです。
もし、自分が身体や心だと思っていれば、
そこにはストレスがあり、癒しを必要とするでしょう。
自分が原初の状態だと知って、それと同化するなら、
そこにはただひとつの動きのない存在があるだけです。
そうなることは癒しという動きではありません。
いうなれば癒しそのものになって、
それを癒しとわざわざいう必要のない存在になることです。
これが自分自身にとって完全な癒しとなるものです。