2013年7月27日土曜日

16. 瞑想で自分自身の中心を見つけることだけが世界を満たす

瞑想の目的は自分自身の中心を知ることだ。

人は何を以って自分の中心としているだろうか。
それは身体や考え方、感情、能力、財力、仕事や友人関係だと思っている。

それは否定されるものではない。
それらは人生を生きていく上で大切な要素だ。

世界は紛れもなくここにあり、
人はそこで生きてく現実に向き合わなかればならない。

だがそれらが現実的にいくら大事なものだとしても自分の中心ではない。
それらは変化するものだ。


中心というのは渦巻きの中心のように動きがない。
その動かない部分があって渦巻きは存在することができる。

人生や世界が動きのある存在ならそこには動きのない中心点が必要だ。
もし中心点がないのなら世界は存在できない。

世界からどんなに素晴らしい贈り物があるとしても、
動きのあるそれらは人の中心点には成り得ない。

人に欠けている理解は、
何が世界に生きている自分の中心かということだ。

もし渦巻きの回っているところを中心とするなら、
中心はくるくると回ったまま変化し続け、
いつまでも安定することはない。

人生には身体を健康にすること、善い思考をすること、
安定して穏やかな感情でいること、高い能力、豊かな財産、
やりがいのある仕事や信頼できる友人関係がある。

それらは人が人生に求めることであり、
それを自分の中心に置きたがる。

それらが自分の中心になれば人生は満たされると思っている。
だから人はそれらを求め続ける。

もし私たちそれらを求めているなら、
今も何かが欠けているということだ。

そして人生に求めることが実現したとしても、
渦の回っている動きの中でいずれ失われる。

人は不足していることを嘆き、
また満たされることに心地よさを求める。

そうして中心を失ったまま、
得たり失ったりする人生を果てしなく繰り返す。

まるで動きのあるところを無理やり中心にして静止させようとしているようだ。
それは自然の摂理に反する不可能なことだ。

だが人はそれが不可能であっても、
動くものを動かない中心にしようと努力すること以外に、
自分の中心を見出す方法を知らない。

瞑想は完全に静止した中心点を見つけ出す。
渦巻くマインドの荒波を超えてそこに辿り着く。

様々な幻想や誘惑を超えて、そのリアリティに辿り着く。

そうして自分自身の中心点を理解した時、渦は満たされる。
どんな渦であっても中心があって満たされている。

自分自身の中心を理解することは全てが完全に満たされることだ。
中心という欠けている部分を見つけ出したために渦は完全になった。

動いているところは動きたいように活動をし、
静止しているところは中心として止まっている。

人生は渦のように色々なことが起こり通り過ぎていく。
善いことも悪いことも、幸せなことも悩ましいことも起こる。

何かを得ることも何かを失うこともある。
それは渦の活動として起こり続ける。

だが中心だけは静止したままそれを失うことはない。
その中心だけは絶対的だ。

それは渦巻きの速さや大きさに左右されることはない。
ただ静止したまま存在している。

この中心の存在を自分自身の内に見出すために人々は生きている。