2013年8月14日水曜日

17. 瞑想が誘う向こう側の世界に飛ぶことができるか

瞑想は感覚や概念を超えたところに辿り着く。

私たちは人生の経験によって満たされたいと思っている。
瞑想さえその手段として扱おうとするだろう。

そのこと自体は悪いことではない。
瞑想を始めるためにはきっかけが必要だ。

人生で起こる感覚や概念的な経験から何かをつかみ取ろうとする欲求があり、
その手段のひとつとして瞑想を思いつくことは問題ではない。

だが瞑想は最終的に感覚や概念を越えていく場所に向かう。


瞑想で感じられる満たされた気持ちや無の感覚などは、
空腹を満たす経験とそれほど違わない。

私たちはまた空腹になって機嫌が悪くなるように、
満たされた感覚は失われて乱れた感情に戻っていく。

瞑想は変わってしまう心地いい気持ちに固執するところを越えていく。
感覚が満たされているか落ち着かないでいるかというレベルから離れる。

そこを越えていくとは文字通り越えていく。
越えるためには崖の向こう側にジャンプする。

それがリアルな状況だったら眼下の深い谷に恐怖を感じるだろう。
ジャンプするに見合う何かがなければリスクが高すぎる。

なぜそこを飛ばなければならないのかという明確な理由がなければ、
私たちは危険を犯してまでそこを飛ぶことに納得できない。

ここを飛んで見返りに何を手に入れることができるだろうか。
一体どんな経験をすることができるだろうか。

そこを飛ぶということで大きく変わることがある。

今まで自分が手にしたものはこの世界で認められてきた。
だが向こう側に行くにはその一切をこの世界に置いていかなければならない。

自分が信じてきた感覚、経験を通して構築された概念、
それは立派な服のように自分の体を覆っている。

それは暖かく私たちを守っている。
それに守られているから安心感がある。

この世界ではそんな立派な服装が自分だと思ってきた。
それをとても大事にしてきたのだ。

だが、向こう側の真実の世界ではそれらを捨て去って、
生身の身体を晒さなければならない。

身体を何も守るものがないから擦り切れだらけになるかもしれない。
寒さや暑さも容赦なく身体を苛ませるだろう。

頑張ってジャンプしても、
そんな過酷な状況が待ち受けている。

そこから飛ばずに心地いい服を着て、
ただ向こう岸を見ている状況が一番いいのかもしれない。

まるで世界の向こう側を知っているような気持ちで、
目を閉じて崖の突端に立ち心地よさを想像する。

だがそこを飛ばなければまた空腹になる。
もっと上等な服だって欲しくなる。
満たされた気持ちは夢になる。

いずれは目を開けて欠乏というこの世界の現実に戻らなければならない。

一体私たちはこの人生で何を求めて生きているのだろうか。
私たちは生まれてから何かを求め続けてきた。

得ようとするものは世界に際限なくあり、
それらは得て欲しそうにこちらを見ている。

私たちはそれを手に入れるために人生を生きてきた。
そのために努力をして知恵を絞ってきた。

それが間違いだとは思えない。
沢山の有意義なことを吸収してきた。

ただ人間の求めるものはそれだけではない。
現実に目の前には崖があり、その向こうにも世界がある。

その世界を知りたいという欲求もある。
その世界に行って何かを感じ、
何かを経験して私たちの身体を覆う立派な服装に仕立てあげてみたい。

そう夢想する。
だがそれは無理な話だ。

向こうの世界へ飛んだ途端に何も身に着けていない生身の自分になり、
こちらの世界のものは何も役には立たなくなる。

そして得るものは何もないかもしれず、
それどころかこちらの世界への帰還も保証されていない。

崖に吹く風がそう教えてくれる。

瞑想はこの崖っぷちに人を立たせる。
殆どの人はジャンプせずにその縁でただ妄想に耽る。

向こうの世界から吹いてくる風の匂いをかぎ、光を感じ、
甘い経験をその服に縫い込もうとする。

それは悪いことではないかもしれない。
だが自分はまだこちらの世界にしっかりと足を着けている。

飛んだ想像をするか本当に飛ぶかは大きな違いだ。
崖に立って考えているうちに人生の時間は過ぎていく。

崖まで来ることさえ稀なことだ。
もしその崖を飛ぶことはできなかったなら、
私たちはまた子供に戻って、世界に求めることから始める。

そこで本当にに崖を飛んだならどうなるのか。
そこに何も身に着けていない生身の自分がいることを知る。

美しい服装は消えたが、
生身であっても力強い自分が存在していることを知る。

私たちは失われることなく、変わることなく、
存在するために努力することもなく、
その存在が世界の全てであることを知る。

だがこの世界の自分自身は消え失せる。
この世界のあの服を向こう側に持ち込むことはできない。

飛んでしまえばそんなものは必要ではなかったとも知るだろう。

私たちは全てを失い、名もない風となり、この世界に戻ってくる。
その風はこの世界に向こう世界の香りを運んでくる。

瞑想はその香りを辿っていく旅のようなものだ。

その風に導かれて誰かがまたこの崖にやって来る。
きっとそこを飛ぶかどうか躊躇するだろう。

風は何もすることができない。
ただそこに真実の香りを運ぶだけだ。

だが風の存在自体が向こう側の世界の存在を知らせている。
私たちにそこを飛べると教えている。