人生の時間を何に使っていくか、
これが私たちの抱えている問題だ。
人間の寿命は大体80年くらい。
80年などあっという間の出来事だ。
だが80年ある。
この年月をどう生きていくか。
人生をどう生きていくか、何の仕事をしていくか、
誰と付き合っていくか、何を楽しみとして人生を満たしていくか、
どうすれば楽しく充実して生きていけるか、
私たちはそう考えて、実際にそれに取り組んでいく。
人生から苦しみや惨めさは排除していきたい。
もしそういう状況になったのなら、そこから抜け出すことを考える。
そして、それにも取り組んでいく。
何を演じるかを考えている。
そしてどんな演技ができたかで自分自身を評価する。
幸せであったかどうか、
思ったことをやり遂げられたかどうか。
それは決して悪いことではない。
人間として生まれてきて、
このように人生の充実を考えるのは当たり前のことだ。
人生で何かをしていくことが人間らしさだ。
人間は部屋の中で80年間じっとしていることなどできない。
たとえそんなことをしたとしても何の意味もない。
人生という舞台で幕が上がっているなら、そこで演技に取り組むべきだ。
そうして人間は80年という人生の時間をもらって、
そこで何かをする。
この世界に生まれて、80年間何かをして、
そして最後には死ぬ。
死んだ後には自分自身には何も残らない。
すべての演技が過去のものとなり、
そこでの財産も、能力も、地位も、記憶も消え、
ただの存在に帰る。
ただそこに個人として存在しているという種が残っている。
その個人にはまだ何も手にしていないという思いがある。
死んでしまって、自分には何一つ残ってないからだ。
だからまたあの世界に生まれて、何かを手にしたいと望む。
そしてまた人間として生まれて80年の舞台を演じる。
人間は死んで手元に残しておけるものなど何もない。
だからこの生まれ変わりは永遠に続いてく。
私たちが死んでから手にしていられるものなど、
人生には存在するのだろうか。
死んだらすべてを失う、
この法則は絶対なのだろうか。
その法則は絶対だが、ただ一つだけ例外がある。
私たちはたとえ死んでも、
自分自身であることを失うことはない。
当たり前のようだが、
私たちは自分自身というものを知らない。
実際にはそれを持っていることさえ意識していない。
それを見失っているから、
死んでから何も持ち帰っていないと思う。
私たちは生まれる前、生きている間も、
死んだあとも自分自身だ。
それだけは失われることがない。
人生で確かめることは、
自分自身が存在するということだ。
それを失っていると思っている限り、
私たちは何かを得るために人生を繰り返す。
人生には楽しいこともたくさんある。
その楽しみは価値あるものだろう。
だがこの自分自身を知ることは、
それをすべて合わせたものよりも価値がある。
死んだ後に自分自身が在ると知っていれば、
もう人生に戻る必要はない。
満たされるために苦しみ、
不自由で麻痺させられているような身体に戻らなくてもいい。
80年の人生の中で、
これを理解することができれば、すべてが満たされる。
人生における苦しみも、楽しさも、すべてが同様に満たされている。
もう人生から何かを得ることに心を悩ませなくてもいい。
私たちは絶対に失うことのないたったひとつのものを手にした。
すでにそれを手にしていることを思い出した。
これを見つけるのが瞑想だ。
だから誰でも瞑想できるようにできている。
それを見つけようと思った人だけが、
瞑想という機能を使いはじめる。
瞑想は絶対に失われないものへと導いていく。
いつか私たちは人生でそれを理解する。