2014年3月1日土曜日

30. 瞑想は人生の繰り返しを終わらせるために絶対に失われないものを見つけること

人生の時間を何に使っていくか、
これが私たちの抱えている問題だ。

人間の寿命は大体80年くらい。
80年などあっという間の出来事だ。

だが80年ある。
この年月をどう生きていくか。

人生をどう生きていくか、何の仕事をしていくか、
誰と付き合っていくか、何を楽しみとして人生を満たしていくか、
どうすれば楽しく充実して生きていけるか、
私たちはそう考えて、実際にそれに取り組んでいく。

人生から苦しみや惨めさは排除していきたい。
もしそういう状況になったのなら、そこから抜け出すことを考える。
そして、それにも取り組んでいく。

私たちは人生という時間の舞台の上で、
何を演じるかを考えている。

そしてどんな演技ができたかで自分自身を評価する。

幸せであったかどうか、
思ったことをやり遂げられたかどうか。

それは決して悪いことではない。

人間として生まれてきて、
このように人生の充実を考えるのは当たり前のことだ。

人生で何かをしていくことが人間らしさだ。
人間は部屋の中で80年間じっとしていることなどできない。

たとえそんなことをしたとしても何の意味もない。
人生という舞台で幕が上がっているなら、そこで演技に取り組むべきだ。

そうして人間は80年という人生の時間をもらって、
そこで何かをする。

この世界に生まれて、80年間何かをして、
そして最後には死ぬ。

死んだ後には自分自身には何も残らない。

すべての演技が過去のものとなり、
そこでの財産も、能力も、地位も、記憶も消え、
ただの存在に帰る。

ただそこに個人として存在しているという種が残っている。
その個人にはまだ何も手にしていないという思いがある。

死んでしまって、自分には何一つ残ってないからだ。
だからまたあの世界に生まれて、何かを手にしたいと望む。

そしてまた人間として生まれて80年の舞台を演じる。

人間は死んで手元に残しておけるものなど何もない。
だからこの生まれ変わりは永遠に続いてく。

私たちが死んでから手にしていられるものなど、
人生には存在するのだろうか。

死んだらすべてを失う、
この法則は絶対なのだろうか。

その法則は絶対だが、ただ一つだけ例外がある。

私たちはたとえ死んでも、
自分自身であることを失うことはない。

当たり前のようだが、
私たちは自分自身というものを知らない。

実際にはそれを持っていることさえ意識していない。

それを見失っているから、
死んでから何も持ち帰っていないと思う。

私たちは生まれる前、生きている間も、
死んだあとも自分自身だ。

それだけは失われることがない。

人生で確かめることは、
自分自身が存在するということだ。

それを失っていると思っている限り、
私たちは何かを得るために人生を繰り返す。

人生には楽しいこともたくさんある。
その楽しみは価値あるものだろう。

だがこの自分自身を知ることは、
それをすべて合わせたものよりも価値がある。

死んだ後に自分自身が在ると知っていれば、
もう人生に戻る必要はない。

満たされるために苦しみ、
不自由で麻痺させられているような身体に戻らなくてもいい。

80年の人生の中で、
これを理解することができれば、すべてが満たされる。

人生における苦しみも、楽しさも、すべてが同様に満たされている。
もう人生から何かを得ることに心を悩ませなくてもいい。

私たちは絶対に失うことのないたったひとつのものを手にした。
すでにそれを手にしていることを思い出した。

これを見つけるのが瞑想だ。
だから誰でも瞑想できるようにできている。

それを見つけようと思った人だけが、
瞑想という機能を使いはじめる。

瞑想は絶対に失われないものへと導いていく。
いつか私たちは人生でそれを理解する。