2014年4月15日火曜日

10. 宇宙とひとつになること

悟るためには手順とタイミングがある。

その時点でやらなければならないこと、
あるいは止めなければならないことがある。

その手順とタイミングを間違えると、
そこで何度も同じことを繰り返し、先に進めなくなる。

悟ることで宇宙とひとつになろうとするなら、
宇宙の全てになろうと意識を広げてはならない。


宇宙の素晴らしいもの、たとえば愛とか慈悲、思いやり、
そういったものを取り込もうとしてはならない。

意識を広げても、個人的エゴ自体にその限界がある。
個人的エゴが宇宙のすべてを吸収することはできない。

素晴らしいものを取り込んでも、それは変化していく。
個人的エゴの都合のいいときに、
消えたり現れたり、大きくなったり小さくなったりする。

もちろん、意識を広げることや、
愛や慈悲、思いやりは大切なことだ。
それを排除するべきだと言っているわけではない。

人が宇宙とひとつになろうとしても、それには限界がある。
まず、素直にこの限界を認めることが大切だ。

この限界を認めたくない人は、
それを打ち消すために、
もっと愛とかエネルギーとかを取り込もうとする。

そうすればするほど、
それらを手に入れることのできない現実が突きつけられる。

確かに目の前に大事なことがあるように見えるかも知れないが、
それは小さな目先のことだ。

それを見ることを否定しているわけではない。
目先のことにもしっかりと取り組むべきだと思う。

だが、宇宙とひとつになるためには、
目先のことから離れて、
自分自身の本質に触れる必要がある。

それは宇宙とは全く違う方向であり、
そのどこで自分と宇宙がつながるのかも分からないだろう。

だが、宇宙の本質は思っている方向とは違ったところにある。
宇宙に触れるために、自分自身の内側に目を向ける。

宇宙とひとつになるためには悟りを得なければならない。

悟りを得るためには、まず一番最初に、
自分自身を悟りたいという思いがなければならない。

それは悟りでなくてもいいかもしれない。
不安を取り除きたい、神聖な存在になりたいなど、
ともかく、自分自身を内面から変えていこうとする意志が必要だ。

私自身は悟りたいというところから始まった。
ただ、私がなぜ悟りを得たいと思ったのかは謎だ。

いろいろと体験的な理由付けはできるかもしれない。
だが、同じ体験をしても、
悟りに結びつく人もいれば、結びつかない人もいる。

それが良いとか悪いとかではなく、
こういった運命的な選択は自分でコントロールできないようだ。

この文章を読んで、瞑想に興味を持って始める人いれば、
全く興味を起こさない人もいるだろう。

きっかけはどうあれ、自分自身という存在自体に興味をもつこと、
このことを宇宙が起こさせてくれれば、悟りへの道が始まる。

そして、次の段階で本当の自分自身を自分の内側に見つける。
それはとても小さな点だ。巨大な宇宙とはとても対照的だ。

本当の自分自身は、宇宙の全てのものから切り離された孤高の一点だ。
純粋な自分自身の存在を確かにそこに認めている。

これが悟りだ。

実際には言うほど簡単な道ではない。
マインドが向いていた反対の方向に悟りはある。

だから、マインドはそれを信じられず、
元に戻ったりする。
そうしながらも、時間をかけて悟りへと近づいていく。

そして、悟りの最後に個人的エゴを捨て去る。
そのとき、小さな点は無限に広がり、
否応なく宇宙全体と融合してひとつになる。

何かを得て、宇宙とつながるのではなく、
すべてを捨てて、宇宙とつながる。

つながろうとして、つながるのではない。
いかに小さく、純粋であろうとすることが、
つながりを完全にし無限大にする。

これが宇宙とひとつになることだ。
どこの段階でも、宇宙とひとつになろうとしてはいない。

むしろ、方向としては宇宙を捨て去っていく。
宇宙のように大きくなろうとはしていない。
むしろ、小さくなろうとする。

最初、それは孤独で喪失感があるかもしれない。
やっていることが間違っているように感じることもある。

だが、そこを通り抜けたとき、
いきなり視界が開け、すべてと再接続する。

理解のすべてが向こうからやってくる。
そこには消して消え去ることのない愛も慈悲も思いやりも含まれている。

それがいつなのかは分からない。
そこまで我慢できなければ、また個人的エゴに戻ってしまう。
個人的エゴのやり方で宇宙を理解しようとするだろう。

宇宙とひとつになるには、宇宙を越えていかなければならない。
ひとつになるだけでは不十分だ。

この順番によって、それは可能になる。

私は宇宙とひとつになろうとは思っていなかった。
ただ、自分自身の純粋で究極な姿を見つけたかった。
それには小さくなるしかなかった。

小さくなることで、私はこれ以上ない根源を見つけた。
だが、それは果てしなく宇宙を超えて巨大でもあった。
このことは想定外だった。

この矛盾をどう消化するか、悩んだ時もある。
なぜ小さいことと大きなことがそこに矛盾なく同居できるのか。
その理解はやがて自然に訪れた。

大きさということを越えるリアリティによって、
それは当たり前のように存在している。

そして宇宙とひとつになった。

悟りの全体像を眺めると、それには順番がある。
物事には順番がある。理解にも順番がある。

だからマスターのいうことを鵜呑みにしてはいけない。
マスターすら、順番を通してその理解に至った。

自分の段階を知らずに、究極に居るマスターの言葉に従えば、
道を逸れて、理解が遠くなることすらある。

あるときはそれに頼り、あるときにはそれを捨てる。
あるときにはこちらを向き、あるときにはあちらを向く。
あるときには集中して努力する、あるときにはそれを一切やめる。

宇宙とひとつになることへの道のりは一様ではない。
タイミングというものもある。

この順番とタイミングによって、
宇宙とひとつになることは自然に起こる。

そのとき、自分が本質的に変わったということを知る。
私は人でありながら、宇宙そのものになった。

そうなったとき、人はどう生きていくのか。