8月25日(月) 滞在4日目
06:00 オールドホールで瞑想
06:45 朝のプージャに参加
毎朝、サマディーホールでその朝に採れた牛乳にお祈りを捧げている。お祈りの後に牛乳をスプーン一杯ずつプラサードとしていただくことができる。このスプーン一杯の牛乳がとても美味しい。
07:00 朝食
07:30 スカンダアシュラムで瞑想
11:00 アシュラムでの食事をパスして、部屋で軽めの昼食
15:00 オールドホールで瞑想
16:00 チャイの時間
16:30 オールドホールで瞑想
19:30 夕食
20:00 スーパーで買物
20:30 部屋に戻る
停電になった!が、すぐに復旧。ここがインドだということを思い出した。
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明日は帰国。帰国前のゆったりとした何のイベントもない1日を味わった。やっとアシュラムの生活に馴染んできたと思ったらもう帰る日だ。もう少し長く滞在してもいいかと思った。長く居過ぎて馴染みすぎるのも問題かもしれないが。。。
ここでの生活はとてもシンプルだ。便利なスーパーが出来て、アシュラムの前の道は綺麗に舗装されて往来も増えたかもしれないが、生活はとても単純だ。食べて、瞑想して、眠る。それが基本だ。
日本ではこれに仕事や人間関係が加わり、そこから考えなければならないことややらなければならないことが急激に増加し、複雑な人生模様を織り成していく。それは悪いことではない。単純だからいいとか、複雑だから悪いということではない。
だが、複雑化された世界に生きていると、とても窮屈になると感じる。複雑さもパターン化されて無感覚になる。複雑化されて動けなくなり拒絶が起こる。日本を離れて、こうしてシンプルな生活をすることが何かしらの新鮮な感覚が呼び起こす。自分として動けるようになり、受け入れる余裕ができる。そうして自分の中に風が通っていく。
人生に刺激は必要だ。悟りを得るためにも刺激は必要だ。ぼんやり瞑想をして悟りを得られることはまずない。そこには炎のような激しい探求が必要だったりする。今までと全く違う方向に悟りはある。マインドを逆回転させるような、ある意味そうさせる強力なエネルギーが必要だ。
シンプルであることもひとつの刺激だ。複雑化した知識の先に悟りがあるわけではない。悟りとは無知識という最高の知識のことだ。知識の複雑化や集積化をやめて、シンプルなところに戻ることで、私たちは知識から解放されて、そこに知識に縛られることのない純粋な自分自身を見つける。
世界にはそういう場所が必要なのだろう。複雑さにがんじがらめになってくると、人は無意識にそういう場所を求めているかもしれない。ラマナアシュラムも貴重なその場所のひとつなのだと思う。