2014年10月18日土曜日

11.許しについて

許すこと許されることは日常的に起こっている。

誰かの間違いを許して水に流すこともあれば、
自分が間違ってしまったことに許しを請うこともある。

逆に間違いを許せずにいることも、
間違いを認めずに自分の正当性を主張することもある。

こういった許しの本質とは何だろうか。

許しとは傷つき傷つけてしまったことへの相互修復であり、
傷つき傷つけられたことへの感情を収めることだ。

間違いを責める側も責められる側も怒りや罪悪感に満ちている。
この感情は苦しみを生み続ける。

この苦しみを解放するのが許しだ。
私たちは許すことや許されることでお互いの苦しみを解放させる。

それでも傷ついた気持ちが簡単に癒やされるとは限らない。
それは深い傷となって、心のどこかでくすぶり続けるかもしれない。

思考の水平線を超えたところは慈悲に満ちている。

そこはひとつの存在としてあるところだ。
そのため相互関係というものがない。

相互関係がないので、許すことも許されることもない。
傷つくことも傷つけることもない。

その場所はすべてがひとつとしてあるところであり、
傷ついた者がそこに触れれば慈悲深い癒やしとなる。

そこは移り変わる人の心とは違う。
許したり、許されたりする心の動きがあるのではない。

そこははじめからただひとつとして動くことのない存在だ。

すべての人がこの存在につながっている。
すべての人はこのたった一人の存在だ。

すべてがひとつとして存在しているなら、
傷つくものも、傷付けられるものもいない。

相互関係で傷つく者にとって、そこは傷を癒す場所だ。
この自分の存在を知れば、傷などはじめからなかったと知る。

そこにいてただひとつとして存在している。