2015年1月20日火曜日

冥空のリアル:01:この世界で生きること

私たちは病気や怪我をすると、健康なことがいかに幸せかを知る。
健康なときには気がつかなかったが、
健康を崩したとたん、この痛みがなければどれだけいいか、
この苦しみさえなければそれだけで幸せだと思う。
病気や怪我をする前は健康なことなど当たり前で、
むしろ自分は不幸せで、
もっと楽しむことや気持ちよくなることがなければ幸せになれないと思ってきた。
私たちはいつも幸せの中にいるが、その当たり前の幸せに気がつかず、
自分は不幸だと嘆いているのだ。

自分が不幸せだと思っているとき、自分の思いを満たすために努力を重ねる。
それが自分の正当な努力であり、人生の時間を使ってやるべきことだと思っている。
そうしなければ人間として失格だとさえ思っている。
だが世界は思い通りにならない。
それどころか想定外のことを次々と起こして私たちを困惑させる。
どんなに努力をしても思い通りの豊かさなど手に入らないこともある。
時折、思い通りになって楽しく気持ちいい時間を得ても、
それはいつか過ぎ去り、また失った豊かさを求めるというスタートラインに戻される。

人生を豊かにしようと努力を重ねることは無駄なことなのだろうか。
それは無駄なことではない。
だがこの努力に巻き込まれてしまえば、私たちの視野はひとつに限定されてしまう。
私たちは意識的にもっと高い視点からこの状況を見る必要がある。
自分が何をしているのか。いったい何を求めているのか。
それで何を手に入れたのか。それは本当に自分が求めていたものなのか。
こうして自分のことを俯瞰して見るとき、
そこに巻き込まれているときには分からなかった何かに気付くかもしれない。

実は何も求めないときが一番幸せだった。
何も求めなければ満たされていないという痛みも苦しみもない。
自然にそうであることを受け取っているときが一番満たされている。
世界に何かを求めたとたん、自分に不足しているものがあらわになり、
それを補わずにいられない状況に陥らせる。
そうして自らを不幸に落とし込んでいるのだ。
ただこのことを虚しいことだと言うつもりはない。
幸不幸とはそういうことだと知る必要があるだけだ。
私たちが何かを求めて努力することは必要だ。
求めない幸せを知ったとしても人生を満たそうと努力することだ。
そうしなければ私たちは何もしないことがいいことだと勘違いをしてしまう。

何もしなくても、何も求めなくても、世界は変わり続け、
私たちの状況はそれとともに変化していく。
何も求めなければ、何事も起こらないということではない。
どのみち私たちは世界で苦しみを伴うこと遭遇して、
それをなんとか変えていかなければならない状況に置かれる。
人として世界に存在している以上、そこで何かを求めて生きるように仕組まれている。
これを意図的に避けて生きていったとしても何にもならない。
何にもしないということでさえ一種の努力になり、
それによって満たされようとするなら、それはいつか崩壊する。

私たちは満たされるために求め続ける。
このことを知っていることが大事だ。
このことを誰が知っているのか。
自分が知っている。
自分とは誰か。
それを知っている存在だ。
それを知っている存在は自分が幸福だろうと不幸だろうと変わることがない。
いつでも黙って世界を俯瞰していて、この世界の変化に影響をうけることがない存在だ。
それは存在としてあるだけで何もしない。
何もしないから満たされ続けている。
それが自分であれば、苦しんだり痛みを感じていても、
満たされようと世界を求めていても、
それが虚しい努力に終わったとしても、
幸せであることでしかいられない。
私たちはこの満たされた存在という中心を持ちながら、
変化していく世界で満たされるために生きている。