2015年1月7日水曜日

沈黙の中で神は語る:第十章(3)神

あなたが何をしていようと、どんなことに興味を持っていようと、
あなたが神で出来ているという事実が消えることはない。

それは何かをすれば、何かを得られるという世界ではない。
神を信仰すれば、神の助けを得られるということではない。
自分が神だと知ることが信仰であり、
自分が神だと知ることで自ら救済されるのだ。
それは初めからその事実があるだけであり、
あなたはただ事実を知るだけだ。
初めからそうなのであれば、あなたが得るものはない。

あなたが神だと知っても、身体と心はそこにある。
身体と心は何かを求め続けるだろう。
それらが人生で喜びや悲しみを叫ぶ。
それさえもあなた同様に神でできている。
神でできていないものはこの世界に存在しない。
神でできているので、喜びや悲しみさえ満たされている。
あなたは神として完璧に満たされたまま、
満たされない思いを完璧なまま感じることができる。

あなたは神を求め続けている。
それはあなた自身が神だからだ。
自分とは何かという究極の答えがそれだ。
あなたは神など求めていないというかもしれない。
だが世界のすべてが神でできているため、
あなたの求めるものはすべて神になる。
あなたの求めるものは次第に洗練されて、
その本質が見えてきたとき、
それが神だったのだと気が付く。

人の生きる道は様々だ。
たとえいま明日の食べ物を心配するような状況でも、
仕事が苦しくてやりきれないと思っていても、
問題ばかりを抱えて行き詰っていても、
自分自身の本質のことなど少しも考えられなくても、
世界が移り変わるという慈悲によって、
あなたは神への道を歩んでいる。
だからあなたの信じる道を歩めばいいのだ。