私たちには闘う能力がある。
その能力を使って、私たちは日々闘っている。
自分と違う意見の人と闘い、自分と違う神を信じる人と闘う。
その戦いは正義であり、正しい道だと信じている。
そしてその闘いに挑む自分を誇らしく思う。
私たちの敵は強い。
その敵は悪魔かもしれないし、不死身の魔物かもしれない。
私たちはその敵に立ち向かう。
負けそうになりながらも、
敵を打ち負かすまで何度も立ち上がる。
そんな闘いが何千年も続いている。
私たちは闘いを止めることができない。
平和のためにさえ、私たちは闘うのだ。
もはや闘いを終わらせることは不可能だと感じている。
私たちにとって、闘うことは生きることと同義語になった。
私たちが闘うべきところは世界ではない。
そこで闘うことは不毛しか生まない。
私たちがその力を示すところは心の中だ。
自分自身の中心に向こうことを遮るものと闘うことだ。
私たちは自分の中心に向かっている。
私たちはいつも本当の自分自身とひとつになろうとしているのだ。
それを色々な感情や興味深い思考に遮られる。
そこから私たちはよい感情やよい思考を探し始める。
私たちのマインドの焦点は、
心の中に映し出されるものに目を向けてしまうのだ。
そして闘いの場所が心の中のスクリーンになってしまう。
このスクリーンが、私たちの行く手を遮るものだ。
私たちはこのスクリーンに焦点を合わせてしまうことと闘う。
私たちの本来の目的は、本当の自分自身へと進むことだ。
それを思い出して、まるで本物のように振る舞うその映像から離れるのだ。
このことは難しい。
だからこそ闘う力が必要になる。
ここが闘う力を使うべきところだ。
そうすれば、私たちはそのスクリーンを突破できる。
敵は強力だ。
それはまるで本物のように振る舞い、心理戦を仕掛けてくる。
まるで自滅するように、闘う力を逸らしてくる。
自分は正しい闘いをしているつもりでも、見当違いのことをさせられる。
私たちは何をするべきかを理解し、その正しい方向に進んでいく。
その道を阻むものは、闘う力で倒していく。
どんなに魅力的な言葉で誘いかけられても、それを振り切っていく。
そして、本当の自分に行き着いたとき、
私たちは闘う力を正しく使い切り、
そこで自分を見つけるための闘いは終わる。