海を知らない人は海があることを信じない。
本当の自分自身を知らない人は本当の自分自身がいることを信じない。
マインドは何でも自分の理解できる範囲でしか知ることをしない。
自分の理解できる範囲の外のことは、無関心であるか、危険なこととして排除する。
そうして自分の安全を保っている。
安全を保っているからといって、それで満足しているわけではない。
マインドは自分を満足させてくれるものを世界中で探している。
世界は理解しやすい。
たくさんの前例があり、満足することは目に見えて明らかだ。
だが、私たちはひとつの満足で満たされるわけではない。
ひとつ満足すれば、もっとたくさんの満足につなげたいと思う。
そのため、満足しても、さらなる満足を求めていく。
それでも満足は自分の理解できる範囲で探していく。
それは身体で感じられるもの、心で考えあらるものだ。
この身体と心を使って、世界から自分のものにできる何かを手に入れる。
それ以外のものには目もくれない。
だが、そのことは悪いことではない。
人として当たり前のことだ。
そして、疎かにするべきことでもない。
私たちのマインドは世界しか見ていない。
世界のことはいろいろとよく知っているし、よく知ろうとする。
だが、マインドの見ていない世界がある。
それが自分自身だ。
マインドは自分自身について深く考えたことがない。
自分とは身体と心だという結論が出ていると思っている。
そのため、マインドの使命は、
この世界で身体を健やかにすることや、
心を安心させることを見つけることだと思っている。
自分を健全な状態に保ち、さらに良くなるための物事を、
世界中で探し回っている。
これがマインドの知っている世界だ。
だが、身体と心は自分自身ではない。
自分が世界をが探していると思っている自分が偽りの自分なのだ。
私たちは自分というところで歯車が噛み合っていない。
だから、いつまでも自分と世界は別々のままだ。
マインドが世界からどれだけのものを得ても満足することはない。
マインドが知るべきは世界のことではなく、自分自身のことだ。
世界の中で探しものをする前に、
身体と心という自分自身の囲いを出て、
そこに本当の自分自身がいることを知ることだ。
マインドは自分が満足できないのは世界が不完全だからだと思ってきた。
世界の不完全さを正せば、私たちは満足できると思ってきた。
だが、私たちは世界を完全なものにしようとしている自分自身を知らない。
自分自身を知らなければ、世界が完全になることはない。
私たちはいったい誰なのか。
マインドは最初に自分自身が本当に自分自身なのかを疑うことから始める。
そこからマインドは統合への新しい一歩を進める。